ふってくるまんま そのまんま
たすこともなく ひくこともなく
いみも かちも りゆうも なく
ただ ただ いまを いきていく
なすことなんか みんなわすれて
ひとのあいだを あじわいつくす
われをわすれて ただただあるく
かぜのように とうめいで
くものように じざい
だれにも みえず つかめない
だけど はげしく ときに やさしく
わすれさられてなんぼのみたま
あしあとすらも のこさない
そんなふうに あたしは なりたい
Born 44.4.15 13:16
Sex X-gender
2012年04月22日
Rordー道
茨木
トロント
バンフ
八方尾根
新大阪
能勢
池田
スコットランド
ロンドン
インド
ハワイ
川西
カリフォルニア
セドナ
誉田
ソウル
ニューヨーク
ザイオン
ラスベガス
土気
タイ
ラオス
カンボジア
杉並区堀ノ内
イタリア
フランス
スペイン
モロッコ
台湾
南三陸
土気
南相馬
トロント
バンフ
八方尾根
新大阪
能勢
池田
スコットランド
ロンドン
インド
ハワイ
川西
カリフォルニア
セドナ
誉田
ソウル
ニューヨーク
ザイオン
ラスベガス
土気
タイ
ラオス
カンボジア
杉並区堀ノ内
イタリア
フランス
スペイン
モロッコ
台湾
南三陸
土気
南相馬
たずねもの
たずねもの
あんたの まえに うまれたあたい
あんたに きれいを みせとうなって
それで ぽろぽろ うそがこぼれて
なきた なっても けらけらわろた
いつか こころが みえんくなって
そして あんたも おらんくなって
やから もいちど もどろうとして
やけど やっぱり もどれんくって
ほんで どうにも たまらんくって
やけど どうにも なけへんかった
やから どしたと ゆうんじゃないし
だれも あたいに 気づきゃしないし
やけど どしたと たずねてほしい
だれか あたいを 見抜いておくれ
たかが あいつと すかしてみても
あたい だめねと わらってみても
なんも ぜんぜん かわってへんし
いまも やっぱり あんたはあんた
こころ いたくて にげだしたけど
いつも あんたに あやまりたくて
やけど ほんまに すきやったから
あたい あんたと くらせんかった
ごめん いまさら あやまられても
そうね そんなん めいわくやよね
やから どしたと ゆうんじゃないし
だれも あたいに 気づきゃしないし
やけど どしたと たずねてほしい
だれか あたいを 見抜いておくれ
ひとの きたなさ ずるさにこわさ
しらん てるまに しみこんでいく
そして やらしく わらったりする
それが こわくて ほんまややから
あたい くるもん ころがしていく
ふって きたやつ かたっぱしから
どんな やつでも はめられてゆく
なんの いんがか わからんまんま
いつも なんかに おいたてられて
それが あたいと うらぶれていく
やから どしたと ゆうんじゃないし
だれも あたいに 気づきゃしないし
やけど どしたと たずねてほしい
だれか あたいを 見抜いておくれ
ゆめも きぼうも わからんまんま
たかが あたいと うつむきながら
ふって くるまま えらばんまんま
これが すべてと いのちをかける
すると どうにも なだれのように
まるで ぜんぶが おさまっていく
そして いつしか ふっきれていく
いつか あたいも あいされていく
ぎゅって しぬほど だきしめられる
そうよ あたいも あいされていく
だから どしたと ゆうんじゃないし
だれも あたいに 気づきゃしないし
だけど どしたと たずねてほしい
だれか あたいを 見抜いておくれ
だから どしたと ゆうんじゃないし
だれも あたいに 気づきゃしないし
だけど どしたと たずねてあげる
あたい あんたを 見抜いてあげる
だけど どしたと たずねてあげる
あたい あんたを 見抜いてあげる
だから どしたと わらってあげる
あたい あんたと わらってあげる
あんたの まえに うまれたあたい
あんたに きれいを みせとうなって
それで ぽろぽろ うそがこぼれて
なきた なっても けらけらわろた
いつか こころが みえんくなって
そして あんたも おらんくなって
やから もいちど もどろうとして
やけど やっぱり もどれんくって
ほんで どうにも たまらんくって
やけど どうにも なけへんかった
やから どしたと ゆうんじゃないし
だれも あたいに 気づきゃしないし
やけど どしたと たずねてほしい
だれか あたいを 見抜いておくれ
たかが あいつと すかしてみても
あたい だめねと わらってみても
なんも ぜんぜん かわってへんし
いまも やっぱり あんたはあんた
こころ いたくて にげだしたけど
いつも あんたに あやまりたくて
やけど ほんまに すきやったから
あたい あんたと くらせんかった
ごめん いまさら あやまられても
そうね そんなん めいわくやよね
やから どしたと ゆうんじゃないし
だれも あたいに 気づきゃしないし
やけど どしたと たずねてほしい
だれか あたいを 見抜いておくれ
ひとの きたなさ ずるさにこわさ
しらん てるまに しみこんでいく
そして やらしく わらったりする
それが こわくて ほんまややから
あたい くるもん ころがしていく
ふって きたやつ かたっぱしから
どんな やつでも はめられてゆく
なんの いんがか わからんまんま
いつも なんかに おいたてられて
それが あたいと うらぶれていく
やから どしたと ゆうんじゃないし
だれも あたいに 気づきゃしないし
やけど どしたと たずねてほしい
だれか あたいを 見抜いておくれ
ゆめも きぼうも わからんまんま
たかが あたいと うつむきながら
ふって くるまま えらばんまんま
これが すべてと いのちをかける
すると どうにも なだれのように
まるで ぜんぶが おさまっていく
そして いつしか ふっきれていく
いつか あたいも あいされていく
ぎゅって しぬほど だきしめられる
そうよ あたいも あいされていく
だから どしたと ゆうんじゃないし
だれも あたいに 気づきゃしないし
だけど どしたと たずねてほしい
だれか あたいを 見抜いておくれ
だから どしたと ゆうんじゃないし
だれも あたいに 気づきゃしないし
だけど どしたと たずねてあげる
あたい あんたを 見抜いてあげる
だけど どしたと たずねてあげる
あたい あんたを 見抜いてあげる
だから どしたと わらってあげる
あたい あんたと わらってあげる
2012年04月12日
2012年04月02日
きのう 親父が逝きました
去年の7月6日 親父が死んだ翌日に書いたもの。
昨日 親父が逝きました
どうしようもない 人でした
すべてにおいて 誤解され すべてにおいて わがままでした
だけど やさしい人でした
伝わりにくい 優しさが おもいのとおり 伝わらなくて
さみしく 吠える 人でした
こどもみたいな 人でした
大人になれない人でした
どなったり わめいたり 黙りコクったり
殴ったり 暴走したり なにをやってもだめでした
最期はひとりでいきました
さみしくひとりで いきました
親父は親父らしくなく
親父は立派な人でなく
だけど 素敵な人でした
子供や孫が大好きで
うれしそうに笑う人でした
昨日親父が行きました
後ろから跳ね飛ばされていきました
新婚旅行は山でした
槍ヶ岳にいきました
去年おかんにでていかれ 今年、も一度いくつもりでした
やりにいく やりにいく っていうから なに やりにいくんやってきくと
槍ヶ岳にいくんやって 一人でいくんやって
やさしい人にいいました
きっとうれしそうにいいました
昨日親父が死にました
俺には大事な人でした
むちゃくちゃさみしい あほでした
むちゃくちゃかわいい あほでした
あなたのように まっすぐに 生きられるといいのにな
あなたのように こころから やさしくできたらいいのにな
つもりつもったなにかが 音をたてて崩れるとき
きっとあなたは 支えてくれる
燃え盛る火の中に 俺の名を呼び飛び込むあなたを
俺はいつまでも わすれない
俺はしんでも わすれない
あなたの息子でよかったな
あなたもきっとそう思ってる
俺を誇りにおもってる
俺をほこりに おもってる
俺もほこりに おもってる
あなたを誇りにおもってる
昨日 親父が逝きました とってもやさしい人でした
かっこいいのか悪いのか だけどやさしい人でした
昨日 あなた は逝きました
おもいのほか さみしいものなんだな
昨日 親父が逝きました
どうしようもない 人でした
すべてにおいて 誤解され すべてにおいて わがままでした
だけど やさしい人でした
伝わりにくい 優しさが おもいのとおり 伝わらなくて
さみしく 吠える 人でした
こどもみたいな 人でした
大人になれない人でした
どなったり わめいたり 黙りコクったり
殴ったり 暴走したり なにをやってもだめでした
最期はひとりでいきました
さみしくひとりで いきました
親父は親父らしくなく
親父は立派な人でなく
だけど 素敵な人でした
子供や孫が大好きで
うれしそうに笑う人でした
昨日親父が行きました
後ろから跳ね飛ばされていきました
新婚旅行は山でした
槍ヶ岳にいきました
去年おかんにでていかれ 今年、も一度いくつもりでした
やりにいく やりにいく っていうから なに やりにいくんやってきくと
槍ヶ岳にいくんやって 一人でいくんやって
やさしい人にいいました
きっとうれしそうにいいました
昨日親父が死にました
俺には大事な人でした
むちゃくちゃさみしい あほでした
むちゃくちゃかわいい あほでした
あなたのように まっすぐに 生きられるといいのにな
あなたのように こころから やさしくできたらいいのにな
つもりつもったなにかが 音をたてて崩れるとき
きっとあなたは 支えてくれる
燃え盛る火の中に 俺の名を呼び飛び込むあなたを
俺はいつまでも わすれない
俺はしんでも わすれない
あなたの息子でよかったな
あなたもきっとそう思ってる
俺を誇りにおもってる
俺をほこりに おもってる
俺もほこりに おもってる
あなたを誇りにおもってる
昨日 親父が逝きました とってもやさしい人でした
かっこいいのか悪いのか だけどやさしい人でした
昨日 あなた は逝きました
おもいのほか さみしいものなんだな
2012年03月17日
南相馬 で 春休み

南相馬に 入って ちょうど一ヶ月。
おもしろいことになってます。
天の神様のいうとおり ぶっとこいてぶっとこいて ぶ、ぶ、ぶ
やっぱり 天の神さま は 面白い。
春休みは 南相馬 で おもいっきり 遊びましょう!
みんな共和国はこちら
2012年01月23日
なにか やらしてみてみてよ。
なんか うずうずしてきた。
おなか うずうずしてきた。
震災以来感じてる。
時代は変わったと。
そして現れる世界も自ずと変わった。
すでに 変わった世界に あたしたちが すこしずつ慣れ親しんでいくのだ。
起こってしまった新しい世界は あと戻りしたがってはいない。
自分より 誰か に 動きたがる カラダ。
持つより 分ける ことで 軽くなる ココロ。
ないより あるが 見えてしまう ヒトミ。
語るより 動く ことで つながる イノチ。
自分を人より上とか下において 役に立とうとしてみたり
できることを できる範囲で って 自分を 納得させようとしてみたり
なにかに 反対 することで 自分を 確かめようとしてみたり
だけど ほんとは 懸命に 生きたくて 生きたくて
なにか やりたくて 動きたくて 仕方ない 命が あるってだけなんだ
助け合ったり 励ましあったり 感謝しあったり ほめあったり
そんな こそばがゆく座りの悪いことを 横目に見ながら しらぬまに
自分 と 目の前にいるひとや こととの 垣根が 低くなってきて
それが ぜんぜん 他人事じゃなくなって ただ 動いてしまう それだけ
なんか うずうずしてきた。
おなか うずうずしてきた。
ただの 名も無き あほな でくのぼー として
だけど 真摯に 時と 我を忘れて 命 全部 活かせる
そんな気が うずうず
君よ 世界よ あたしに そして あたしにつながる者たちに
なにか やらしてみてみてよ。
どこにでもいける。
どんなことでも きっと できる、。
あほみたいに あたりまえなやつらと。だけどとっても 素敵なやつらと。
きっと あなた と 一緒に なんか めっちゃおもろいこと できる。
あたりまえのことを あたりまえに。
変えるんじゃない。 すでに 変わってるんだ。
それを 認めて 歩き出すんだ。
新月のように 目には みえなくとも それは すでに そこにあるんだ。
具体的な 「なにか」が あってもなくても
動いてたり 動きはじめたい 「命」が あるなら
あたしにつながる すべての人よ
ここから はじまる 新しい 「なにか」に 懸けよう。
2011年11月28日
仕事依頼 遊びのお誘い歓迎
さみしい思いしてる子も痛い目見た子も罪を犯した子も
そのまま抱きしめて一緒に暮らせたら嬉しい。
暴力、虐待、いじめ、自殺があほらしくなる世の中が嬉しい。
誰もなにも怯えずにあったかいご飯を毎日食べれるんが嬉しい。
ありがとうなんていちいちいわんでもわかりあえる関係が嬉しい。
おもろいことをおもろいとおもったときにおもろくやれる人生が嬉しい。
金のための 仕事はしません。
金のかかる 遊びもしません。
心のこもらん 仕事はしません。
心のうごかん 遊びもしません。
仕事のジャンルです。
講演会講師
ー矯正施設系
ートークライブ系
ー学校系
セミナー講師
ーダイアログ系
ー夢を叶える系
ーほんまのこと話そ系
ー恋愛系
ワークショップ講師
ー本音を語り合う系
ーアウトドア/サバイバル/チャレンジ系
ー感情発散系
ーセクシュアリティ系
ー瞑想系
ーダンス系
ー夢を叶える系
パネリスト
ー教育系
ー平和イベント系
ー非行/薬物問題系
司会
ーワークショップ系
ー未来を創る系
ワークショップ企画
ー各種(8年間で400回)
ワークショップ主催
ー各種(8年間で400回)
イベント・プロデゥース
ー平和の祈り
歌
ーイベント系
ーライブハウス系
絵
ー壁画依頼
ー似顔絵依頼
書
ー言葉
カウンセリング
ーパーソンセンタード アプローチ
コーチング
ーパワーコーチング
カードリーディグ
ーOHカード他
恋愛相談
ー片思い
ー結婚
ー不倫
ー離婚
ー性
以下は
裏のお仕事(秘密厳守です)
ピースメーカー(あらゆるもめごとを平和的に解決する)
シークレットキーパー(誰にもいえない秘密の相談)
などなどいろいろ.
とりあえずの思いつきでもいいので
こんなんできますかー?
こんなんどうですかー?
など聞いてください。
たとえ僕ができなくても
おもろい仲間がたくさんいるので大概のことはできます。
とにかく一度声かけてください。
連絡先は
ryugen415@gmail.com
費用は依頼主さまの予算に完全に合わせます(ギャラでNOはいいません)
どの仕事も楽しみながら全力でやりますのでよろしく!
ここ数年の活動
GEISAI 11 出展(アート)
セクシュアリティ ワークショップ(講師)
人間になるキャンプ(主催)
ダイアログ BAR(ゲスト)
火のワーク(スタッフ)
シークレット・リトリート(講師&主催)
北海道
未来を創るワークショップ2009(司会)
坊主合宿
大阪府立修徳学院 創立記念講演(講演)
BEG ファシリテーターズミーティング(主催)
スウェットロッジ(共催)
モクヨル(講師)
トークライブ(講演)
リトルウルフキャンプ(スタッフ)
ベーシックエンカウンターグループ(講師&主催)
ワークショップ プレ フォーラム(講師)
ワークショップフォーラム g(フォーラムファシリテーター&事務局長)
土気中学校 PTA会長に就任
四国 阿波西高校 新入生キャンプ(GC)
スウェットロッジ(主催)
東南アジア放浪の旅
カンボジア友好学園 オーシャンズに参加(講師)
ミニカウンセリング(主催)
満月富士登山(主催&ガイド)
HELPキャンプ(グループカウンセラー&コーディネーター)
人間になるキャンプ(主催&グループカウンセラー)
大地の芸術祭
島根の刑務所にて 受刑者とともにワークショップ(ファシリテーター)
駆け込みカフェ&ごはんやさん ここち屋 経営
少年院出身者のフォーラムに参加
イタリア、フランス、スペイン、モロッコ放浪
震災後 南三陸町にて半年間 活動
南三陸はたらき隊
みなみな屋
こども夢花火 等
そのまま抱きしめて一緒に暮らせたら嬉しい。
暴力、虐待、いじめ、自殺があほらしくなる世の中が嬉しい。
誰もなにも怯えずにあったかいご飯を毎日食べれるんが嬉しい。
ありがとうなんていちいちいわんでもわかりあえる関係が嬉しい。
おもろいことをおもろいとおもったときにおもろくやれる人生が嬉しい。
金のための 仕事はしません。
金のかかる 遊びもしません。
心のこもらん 仕事はしません。
心のうごかん 遊びもしません。
仕事のジャンルです。
講演会講師
ー矯正施設系
ートークライブ系
ー学校系
セミナー講師
ーダイアログ系
ー夢を叶える系
ーほんまのこと話そ系
ー恋愛系
ワークショップ講師
ー本音を語り合う系
ーアウトドア/サバイバル/チャレンジ系
ー感情発散系
ーセクシュアリティ系
ー瞑想系
ーダンス系
ー夢を叶える系
パネリスト
ー教育系
ー平和イベント系
ー非行/薬物問題系
司会
ーワークショップ系
ー未来を創る系
ワークショップ企画
ー各種(8年間で400回)
ワークショップ主催
ー各種(8年間で400回)
イベント・プロデゥース
ー平和の祈り
歌
ーイベント系
ーライブハウス系
絵
ー壁画依頼
ー似顔絵依頼
書
ー言葉
カウンセリング
ーパーソンセンタード アプローチ
コーチング
ーパワーコーチング
カードリーディグ
ーOHカード他
恋愛相談
ー片思い
ー結婚
ー不倫
ー離婚
ー性
以下は
裏のお仕事(秘密厳守です)
ピースメーカー(あらゆるもめごとを平和的に解決する)
シークレットキーパー(誰にもいえない秘密の相談)
などなどいろいろ.
とりあえずの思いつきでもいいので
こんなんできますかー?
こんなんどうですかー?
など聞いてください。
たとえ僕ができなくても
おもろい仲間がたくさんいるので大概のことはできます。
とにかく一度声かけてください。
連絡先は
ryugen415@gmail.com
費用は依頼主さまの予算に完全に合わせます(ギャラでNOはいいません)
どの仕事も楽しみながら全力でやりますのでよろしく!
ここ数年の活動
GEISAI 11 出展(アート)
セクシュアリティ ワークショップ(講師)
人間になるキャンプ(主催)
ダイアログ BAR(ゲスト)
火のワーク(スタッフ)
シークレット・リトリート(講師&主催)
北海道
未来を創るワークショップ2009(司会)
坊主合宿
大阪府立修徳学院 創立記念講演(講演)
BEG ファシリテーターズミーティング(主催)
スウェットロッジ(共催)
モクヨル(講師)
トークライブ(講演)
リトルウルフキャンプ(スタッフ)
ベーシックエンカウンターグループ(講師&主催)
ワークショップ プレ フォーラム(講師)
ワークショップフォーラム g(フォーラムファシリテーター&事務局長)
土気中学校 PTA会長に就任
四国 阿波西高校 新入生キャンプ(GC)
スウェットロッジ(主催)
東南アジア放浪の旅
カンボジア友好学園 オーシャンズに参加(講師)
ミニカウンセリング(主催)
満月富士登山(主催&ガイド)
HELPキャンプ(グループカウンセラー&コーディネーター)
人間になるキャンプ(主催&グループカウンセラー)
大地の芸術祭
島根の刑務所にて 受刑者とともにワークショップ(ファシリテーター)
駆け込みカフェ&ごはんやさん ここち屋 経営
少年院出身者のフォーラムに参加
イタリア、フランス、スペイン、モロッコ放浪
震災後 南三陸町にて半年間 活動
南三陸はたらき隊
みなみな屋
こども夢花火 等
2011年10月30日
言葉にならない祈り
震災以来 いろんな活動で感じたのは
人間のあきらめない たくましさ
自然のパワーと 静けさ
普通のこと と 暮らしの大切さ
そして
言葉の陳腐さ
善意の攻撃性と薄っぺらさ
思いのむなしさ
でした。
巷には 元気のいい言葉がならぶけど
なんとなく 居心地が悪くて
ありがとう も
がんばろう も
大丈夫 も
勇気 も
希望 も
自由 も
夢 も
どこか物足りず すりぬけていくから
ただ もくもくと 言葉を失い
日々の暮らしに 埋没しながら
ただ 言葉にならない なにか を祈ってる
自分というものが いつのまにか どんどん失われていって
どこまでが 己の領域で どこからが あいつの領域なのか
溶けいってしまう快さと 消えうせてしまう儚さの 間で
表現されずにある 感情も 誰かに伝えたいことも
夢も 希望も 遣り残したことも 全部 薄っぺらく思えて
また さかさまに 目に映る全部が 自分ごとのように分厚くのしかかってきたりして
ただ 大気に漂う なにかに 翻弄され 動かされて 生きていく
きっと そんな風にしか 生きられないのかもしれないなどと
思いながら
なんかやりたくて そのまんま動いて
全部やりきったつもりで
それでも なんにもやれてないことに気づいたりして
これ以上 なんのやりたいことも
やるべきこともないかのような 顔をして
過去と未来の間の 静けさに 漂っている
自分と自分の周りの安全を確保して
ただ 笑っていられるような 幸せがほしいわけもなく
ほんとは、日々起こる痛みに なすすべなく
途方にくれているのだ
ただ それでも そこに残るのは
言葉にならない 祈り。
どうかどうか。。。。。。。。と。
誰に祈ってるわけじゃない
祈ったって どうにもならないことがあるのも わかっているけど
いろんな意味で 人知を超えて祈り
そしてその 祈りの中に 浸かりたくなった。
だから 12月に ネイティブアメリカンで何千年も前から行われている
祈りの儀式 スウェットロッジを やることにしました。
詳細→ http://alikawakita.jimdo.com/
ネイティブアメリカンの 祈りには 4つ あるという。
感謝 たとえば 日々 在ることに 感謝する
覚悟 たとえば 生きてゆく道を 覚悟し宣言する
啓示 たとえば どちらに進めばいいか 教えをこう
願い たとえば 幸せでありますようにと 願う
ともに 生き 憂い 喜ぶ 仲間として母の子宮で 祈りましょう。
一人で祈るより やっぱり 大切に思える 誰か と 祈りたいから。
12月10日ー11日 千葉の八日市場 アルカディアの里です。
内容は
10日の朝に集合し
みんなでスウェットロッジの準備をし自分自身とつながるワークをしたり
ネイティブアメリカンの唄をうたったり自分自身の祈りを丁寧にみつけたりして
夜が更けるころに頃スウェットに入っていく。
そして4つの扉を通り抜け夜が明ける頃に生まれ変わってでてくる。
1泊2日 のワークショップというより
10日から11日までのながーい1日 儀式が続くって感じ(途中希望者は仮眠あり)
待ってます。
詳細→ http://alikawakita.jimdo.com/
続き・・・
人間のあきらめない たくましさ
自然のパワーと 静けさ
普通のこと と 暮らしの大切さ
そして
言葉の陳腐さ
善意の攻撃性と薄っぺらさ
思いのむなしさ
でした。
巷には 元気のいい言葉がならぶけど
なんとなく 居心地が悪くて
ありがとう も
がんばろう も
大丈夫 も
勇気 も
希望 も
自由 も
夢 も
どこか物足りず すりぬけていくから
ただ もくもくと 言葉を失い
日々の暮らしに 埋没しながら
ただ 言葉にならない なにか を祈ってる
自分というものが いつのまにか どんどん失われていって
どこまでが 己の領域で どこからが あいつの領域なのか
溶けいってしまう快さと 消えうせてしまう儚さの 間で
表現されずにある 感情も 誰かに伝えたいことも
夢も 希望も 遣り残したことも 全部 薄っぺらく思えて
また さかさまに 目に映る全部が 自分ごとのように分厚くのしかかってきたりして
ただ 大気に漂う なにかに 翻弄され 動かされて 生きていく
きっと そんな風にしか 生きられないのかもしれないなどと
思いながら
なんかやりたくて そのまんま動いて
全部やりきったつもりで
それでも なんにもやれてないことに気づいたりして
これ以上 なんのやりたいことも
やるべきこともないかのような 顔をして
過去と未来の間の 静けさに 漂っている
自分と自分の周りの安全を確保して
ただ 笑っていられるような 幸せがほしいわけもなく
ほんとは、日々起こる痛みに なすすべなく
途方にくれているのだ
ただ それでも そこに残るのは
言葉にならない 祈り。
どうかどうか。。。。。。。。と。
誰に祈ってるわけじゃない
祈ったって どうにもならないことがあるのも わかっているけど
いろんな意味で 人知を超えて祈り
そしてその 祈りの中に 浸かりたくなった。
だから 12月に ネイティブアメリカンで何千年も前から行われている
祈りの儀式 スウェットロッジを やることにしました。
詳細→ http://alikawakita.jimdo.com/
ネイティブアメリカンの 祈りには 4つ あるという。
感謝 たとえば 日々 在ることに 感謝する
覚悟 たとえば 生きてゆく道を 覚悟し宣言する
啓示 たとえば どちらに進めばいいか 教えをこう
願い たとえば 幸せでありますようにと 願う
ともに 生き 憂い 喜ぶ 仲間として母の子宮で 祈りましょう。
一人で祈るより やっぱり 大切に思える 誰か と 祈りたいから。
12月10日ー11日 千葉の八日市場 アルカディアの里です。
内容は
10日の朝に集合し
みんなでスウェットロッジの準備をし自分自身とつながるワークをしたり
ネイティブアメリカンの唄をうたったり自分自身の祈りを丁寧にみつけたりして
夜が更けるころに頃スウェットに入っていく。
そして4つの扉を通り抜け夜が明ける頃に生まれ変わってでてくる。
1泊2日 のワークショップというより
10日から11日までのながーい1日 儀式が続くって感じ(途中希望者は仮眠あり)
待ってます。
詳細→ http://alikawakita.jimdo.com/
続き・・・
2011年10月04日
半年間の南三陸での活動
3月22日から9月21日までの半年間にわたった
名もなきでくのぼー 及び でくのぼー基金の
南三陸への関わり、活動覚え書き
*基本 全部 南三陸の町の人たちが
主体となってやった事業及び活動です。
◎町民の町民による町民のための瓦礫撤去及び清掃活動
町の人がボランティア任せではなく
仕事として自分たちの力で自分たちの町の
復興に関わりたいという思いからはじまった。
結果、仕事という意味での一時避難所の役割を担う。
現場の依頼をうけること、人員の配置、各現場のリーダーなど
すべてを町の人でやっていった。
活動期間 2011年4月18日−8月31日
活動人数 124名(のべ3500人以上=日×人)
活動時間 22000時間(時給千円 基金が支援)
現場数 150件以上(避難所、役場仮庁舎、ボラセンなどのトイレ掃除含む)
荒砥、平磯、袖浜、戸倉、歌津、泊浜など南三陸町全域を
15歳から77歳まで老若男女みなで依頼者さんと共に汗を流し、
ほとんどのメンバーが自分の生きる道をみつけて卒業したり
9月からは町の人が合同で作った瓦礫撤去の会社にはまったりしている。
これを機に出会った人たちで放課後(仕事後)にバスケ、サッカーなど部活をやったり
バーベキューをやったり旅行にいったりと親交を深めて
みんなでこれからの南三陸を作っていこうと活動継続中
恋愛構想部、語り部などもあってもちろんお幸せなカップルも誕生!
でくのぼー 初期のころの思い
http://www.ryugen.jp/article/199063757.html
町の災害FM FMみなさんにも 何度かゲストとして出演した。
◎町内新規事業創出及び雇用促進活動
一人ひとりとじっくり話し、仕事、恋愛、暮らし、人生全般について
対話をしながらやりたい仕事をみつけたり
歩きたい人生をあるけるように相互扶助する活動
リアカーでのビニジュース販売事業など話題になった活動や
カフェ、民宿、畑、バー、弁当屋など中には未完のものもあったが
それぞれが やりたいことできることを見つめる機会でもあった
それぞれに来た仕事の話をみんなに投げそれに興味ある人が手をあげたり
自分から掛け合って仕事をつくったりそれに人を誘ったりしていった
◎こども夢花火の開催に向けた活動
例年、夏祭り後にやっていた花火を津波で絶やさず
いろいろ我慢してる子供たちにみせたいと町の有志で実行委員を結成
費用の捻出、住民の理解、警察や消防、警備の問題など数々の難題をクリアしていき
当日全国に 生中継、応援されながら 夜空に最高の花火が打ちあがった
開催日時 2011年8月13日
打上げ数 約3000発
手持花火 1000セット(町内子供に配布)
事業費 2000万円(楽天ショップで5日で完売)
協力人数 5000人以上
実行委員 町民有志 9名 当日スタッフでくのぼー30名
こども夢花火公式サイト http://yumehanabi.jp/
こども夢花火楽天サイト http://www.rakuten.co.jp/minamina/912126/912127/
◎南三陸町観光協会関連事業の活動
津波の影響で十数人のスタッフがいったん解雇され
一人になり存続が危ぶまれたがなんとか町のためにがんばろうとスタッフが奮闘、
公式オンラインショップ「みなみな屋」を楽天市場に出店
OPEN5日で2000万円分の花火が売り切れる。
以降、カイコ関連、大漁旗関連ほか南三陸町関連商品を販売したり
全国からのツアーの受け入れ、月に一度の福興市事務局などを
5名のスタッフで切り盛りしている
みなみな屋 公式サイト http://www.rakuten.co.jp/minamina/
大漁旗実物を利用した帽子 http://item.rakuten.co.jp/minamina/huntingcap3/
◎南三陸町社会福祉協議会関連活動
2011年3月22日より
災害ボランティアセンター 立ち上げ手伝い
ベイサイドアリーナ 支援物資部門を任される
社協活動用に 軽ワゴン車4台を寄贈
猪又さんが被災者支援事業プランなどを練り
現在緊急雇用制度を利用して100名を社協が雇用
仮設住宅に深く関わりさまざまな仕事をしている
もちろんでくのぼーメンバーの卒業先でもある
南三陸町災害ボランティアセンター
http://msv3151.c-bosai.jp/group.php?gid=10407
◎ベイサイドロックフェスの開催に向けた活動
今年で10年目を迎える地元バンドによるロックフェス
実行委員の「流された仲間のためにも今年、どうしてもやりたんです」
という熱い思いからすべて手作りではじまったイベント
開催日時 2011年9月11日
町内の10数バンドが例年のようにあつまり
亡くなった2名の仲間の追悼の意を込めて開催
次回は規模を大きくして10月に開催予定
youtube ベイサイドロックフェス(ギターはでくのぼーメンバー)
https://www.youtube.com/watch?v=70MVMgz9R-I
◎震災後の町内新規出店店舗などの応援活動
〜居酒屋 日の出荘
〜美容室 ハミング
〜結 〜 shirouto cafe 〜
OPENにあたりメニューやチラシ、看板などを依頼され作成
ハミング および 結 のオーナー はでくのぼーにいたメンバー
南三陸町支援情報ポータルのお店開店情報
http://minamisanrikushien.blogspot.com/2011/05/blog-post_31.html
◎地元農家の応援
〜歌津の小野花匠園さん。http://www.rakuten.co.jp/cook/125972/1848144/
トマトはネットショップにて完売
菊については10数人を雇用し町のコンビ二などで販売している
◎みんなの家の活動
でくのぼーのアジト(集会所)のように
家と仕事場以外に みんなでフラッと集まれる場所を
つくろうと町の若者が自主的に活動中
清水国明氏と共にドームハウスを建てたりもした。
できなかったこと
・被災地、被災者として接すること
・遠慮や気遣いや敬語で話すこと
・写真や映像をとったり被災経験を聞き出すこと
・ビジョンや計画を持ち込むこと
・団体化、組織化すること
・活動の主体になること
・メディア取材を受けること
・表に出たり報告会をやること
日々、これでいいのかダメなのか自問しつつ
一人の人間として目の前にいる人間に向き合い動いてた感じ
できたかできなかったかは未来にならんとわからんけど
なにより 人間としての尊厳を大切にしたいと思い動いた。
つきあえばつきあうほどみんな
ただのどこにでもおる
あほーでおちゃめで あったかい人たちやった
津波がきたから とか
いろんなもん失ったから とか
そりゃみんないろいろ事情も気持ちも抱えてるけど
ふらふら、おろおろしながら 泣いたり笑ったり
底抜けに明るかったり時にめっちゃへこんだりしながら
懸命に生きてる 生きようとしている そして 生きてくであろう
普通の人間やった もちろん俺も。
そんな みんなの ええ顔やらあかん顔が
いっぱいみられたことが 何よりで
変な感じやけど ありえないことがいとも簡単にありえる
宝箱のなかに 埋もれたような 時空間でした。
そして 人間ってほんま すげーって改めて感じた。
いま、この瞬間も 生きてるみんなに 乾杯!
ただ ありがとうやがんばれに続く
居心地の悪い言葉がまた増えたな。。
復興、支援、ボランティア、サポート、ケア、善意、被災、被害。。。
続き・・・
名もなきでくのぼー 及び でくのぼー基金の
南三陸への関わり、活動覚え書き
*基本 全部 南三陸の町の人たちが
主体となってやった事業及び活動です。
◎町民の町民による町民のための瓦礫撤去及び清掃活動
町の人がボランティア任せではなく
仕事として自分たちの力で自分たちの町の
復興に関わりたいという思いからはじまった。
結果、仕事という意味での一時避難所の役割を担う。
現場の依頼をうけること、人員の配置、各現場のリーダーなど
すべてを町の人でやっていった。
活動期間 2011年4月18日−8月31日
活動人数 124名(のべ3500人以上=日×人)
活動時間 22000時間(時給千円 基金が支援)
現場数 150件以上(避難所、役場仮庁舎、ボラセンなどのトイレ掃除含む)
荒砥、平磯、袖浜、戸倉、歌津、泊浜など南三陸町全域を
15歳から77歳まで老若男女みなで依頼者さんと共に汗を流し、
ほとんどのメンバーが自分の生きる道をみつけて卒業したり
9月からは町の人が合同で作った瓦礫撤去の会社にはまったりしている。
これを機に出会った人たちで放課後(仕事後)にバスケ、サッカーなど部活をやったり
バーベキューをやったり旅行にいったりと親交を深めて
みんなでこれからの南三陸を作っていこうと活動継続中
恋愛構想部、語り部などもあってもちろんお幸せなカップルも誕生!
でくのぼー 初期のころの思い
http://www.ryugen.jp/article/199063757.html
町の災害FM FMみなさんにも 何度かゲストとして出演した。
◎町内新規事業創出及び雇用促進活動
一人ひとりとじっくり話し、仕事、恋愛、暮らし、人生全般について
対話をしながらやりたい仕事をみつけたり
歩きたい人生をあるけるように相互扶助する活動
リアカーでのビニジュース販売事業など話題になった活動や
カフェ、民宿、畑、バー、弁当屋など中には未完のものもあったが
それぞれが やりたいことできることを見つめる機会でもあった
それぞれに来た仕事の話をみんなに投げそれに興味ある人が手をあげたり
自分から掛け合って仕事をつくったりそれに人を誘ったりしていった
◎こども夢花火の開催に向けた活動
例年、夏祭り後にやっていた花火を津波で絶やさず
いろいろ我慢してる子供たちにみせたいと町の有志で実行委員を結成
費用の捻出、住民の理解、警察や消防、警備の問題など数々の難題をクリアしていき
当日全国に 生中継、応援されながら 夜空に最高の花火が打ちあがった
開催日時 2011年8月13日
打上げ数 約3000発
手持花火 1000セット(町内子供に配布)
事業費 2000万円(楽天ショップで5日で完売)
協力人数 5000人以上
実行委員 町民有志 9名 当日スタッフでくのぼー30名
こども夢花火公式サイト http://yumehanabi.jp/
こども夢花火楽天サイト http://www.rakuten.co.jp/minamina/912126/912127/
◎南三陸町観光協会関連事業の活動
津波の影響で十数人のスタッフがいったん解雇され
一人になり存続が危ぶまれたがなんとか町のためにがんばろうとスタッフが奮闘、
公式オンラインショップ「みなみな屋」を楽天市場に出店
OPEN5日で2000万円分の花火が売り切れる。
以降、カイコ関連、大漁旗関連ほか南三陸町関連商品を販売したり
全国からのツアーの受け入れ、月に一度の福興市事務局などを
5名のスタッフで切り盛りしている
みなみな屋 公式サイト http://www.rakuten.co.jp/minamina/
大漁旗実物を利用した帽子 http://item.rakuten.co.jp/minamina/huntingcap3/
◎南三陸町社会福祉協議会関連活動
2011年3月22日より
災害ボランティアセンター 立ち上げ手伝い
ベイサイドアリーナ 支援物資部門を任される
社協活動用に 軽ワゴン車4台を寄贈
猪又さんが被災者支援事業プランなどを練り
現在緊急雇用制度を利用して100名を社協が雇用
仮設住宅に深く関わりさまざまな仕事をしている
もちろんでくのぼーメンバーの卒業先でもある
南三陸町災害ボランティアセンター
http://msv3151.c-bosai.jp/group.php?gid=10407
◎ベイサイドロックフェスの開催に向けた活動
今年で10年目を迎える地元バンドによるロックフェス
実行委員の「流された仲間のためにも今年、どうしてもやりたんです」
という熱い思いからすべて手作りではじまったイベント
開催日時 2011年9月11日
町内の10数バンドが例年のようにあつまり
亡くなった2名の仲間の追悼の意を込めて開催
次回は規模を大きくして10月に開催予定
youtube ベイサイドロックフェス(ギターはでくのぼーメンバー)
https://www.youtube.com/watch?v=70MVMgz9R-I
◎震災後の町内新規出店店舗などの応援活動
〜居酒屋 日の出荘
〜美容室 ハミング
〜結 〜 shirouto cafe 〜
OPENにあたりメニューやチラシ、看板などを依頼され作成
ハミング および 結 のオーナー はでくのぼーにいたメンバー
南三陸町支援情報ポータルのお店開店情報
http://minamisanrikushien.blogspot.com/2011/05/blog-post_31.html
◎地元農家の応援
〜歌津の小野花匠園さん。http://www.rakuten.co.jp/cook/125972/1848144/
トマトはネットショップにて完売
菊については10数人を雇用し町のコンビ二などで販売している
◎みんなの家の活動
でくのぼーのアジト(集会所)のように
家と仕事場以外に みんなでフラッと集まれる場所を
つくろうと町の若者が自主的に活動中
清水国明氏と共にドームハウスを建てたりもした。
できなかったこと
・被災地、被災者として接すること
・遠慮や気遣いや敬語で話すこと
・写真や映像をとったり被災経験を聞き出すこと
・ビジョンや計画を持ち込むこと
・団体化、組織化すること
・活動の主体になること
・メディア取材を受けること
・表に出たり報告会をやること
日々、これでいいのかダメなのか自問しつつ
一人の人間として目の前にいる人間に向き合い動いてた感じ
できたかできなかったかは未来にならんとわからんけど
なにより 人間としての尊厳を大切にしたいと思い動いた。
つきあえばつきあうほどみんな
ただのどこにでもおる
あほーでおちゃめで あったかい人たちやった
津波がきたから とか
いろんなもん失ったから とか
そりゃみんないろいろ事情も気持ちも抱えてるけど
ふらふら、おろおろしながら 泣いたり笑ったり
底抜けに明るかったり時にめっちゃへこんだりしながら
懸命に生きてる 生きようとしている そして 生きてくであろう
普通の人間やった もちろん俺も。
そんな みんなの ええ顔やらあかん顔が
いっぱいみられたことが 何よりで
変な感じやけど ありえないことがいとも簡単にありえる
宝箱のなかに 埋もれたような 時空間でした。
そして 人間ってほんま すげーって改めて感じた。
いま、この瞬間も 生きてるみんなに 乾杯!
ただ ありがとうやがんばれに続く
居心地の悪い言葉がまた増えたな。。
復興、支援、ボランティア、サポート、ケア、善意、被災、被害。。。
続き・・・
2011年08月21日
人生ここにあり
イタリア 映画
「人生ここにあり」 http://jinsei-koko.com/
イタリアでは 精神病院はないとのこと。
人を区別して隔離して関係ないことにして生きていくことが安心だとは思わない。
ポンコツでも 悪い人でも 優しい気持ち はちゃんあり
エリートでも 善い人でも 卑しい気持ち はちゃんある
みんなただの 人間。
みないことにして なかったことにして 生きたって
みえてるし あるんやから。
めんどくさいこともいっぱいあるけど
それぞれの 現れを いとおしく 眺められたらええな。
あほだの ぼけだの カスだのいいながら。
キャッチこぴーの
NO WORK NO LIFE
ほんまにそうやとおもう。
ここ 南三陸でも。
「人生ここにあり」 http://jinsei-koko.com/
イタリアでは 精神病院はないとのこと。
人を区別して隔離して関係ないことにして生きていくことが安心だとは思わない。
ポンコツでも 悪い人でも 優しい気持ち はちゃんあり
エリートでも 善い人でも 卑しい気持ち はちゃんある
みんなただの 人間。
みないことにして なかったことにして 生きたって
みえてるし あるんやから。
めんどくさいこともいっぱいあるけど
それぞれの 現れを いとおしく 眺められたらええな。
あほだの ぼけだの カスだのいいながら。
キャッチこぴーの
NO WORK NO LIFE
ほんまにそうやとおもう。
ここ 南三陸でも。
2011年07月21日
脱 被災者
ガキの頃から 被害者 や 加害者 という言葉がきらいだ。
そして
ずいぶん前から 被災地 被災者 という文字が 嫌いだ。
。。。。。。。。
7月6日0時55分 親父が散歩中 後ろから車にはねられ天に昇った。
確かに親父は 被害者
そして俺は 被害者遺族
だけど そのレッテルをつけたまま
そんな服を着せられたまま
親父が あの世で かわいそうに といわれることに我慢がならない。
無念だね 残念だね もうちょっとやりたいこともあったろうにと。
そんなはずはない
親父はやりたいことをやり終えて
あえて 自らその死に方を選んで誇りたかく逝ったんだ。
自分なりに人生を全うして ゴールしたんだと。
事故現場のそばのセブンイレブンの防犯カメラに写ったその瞬間
親父は宙を舞い 痛々しく地面に落ちた
痛いよ 痛いよ つきささるほど 目に焼きついていまだ離れない
だけど 恨まない 恨めない
恨んだら 親父が 悲しむよ
責任さえとってもらえればそれでいい
それより
あいつの 生き様 そして 死に様 を 腹に落として
しっかり いきていかんとな。と。
山男だった親父の遺骨をもって 富士山に登り
頂上に石を積んで手をあわせた帰り
俺の車の前に 小さな 鹿が飛び出してぶつかった。
いったん転んで なんとか起き上がり
森に走っていったけど
これで 俺も加害者
だけどきっと それも 小さな鹿が
教えてくれた 命 命 命
すべてはめぐりめぐってる。
被害者でも 加害者でもあり
その悲しみを 背負い 苦しみを 撒き散らしながら生きている
そんな どうしようもない 存在なんだ。
だから 俺も親父も 被害者の 服は 着ない。
すべてを 飲み込んで ただ生き そして 死んでいく
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
そして いま 脱 被災者
この人たちは 被災者という存在じゃない
この人たちは ここで生きてくことを選んで生まれた誇り高き人間だ。
俺がここにいる訳があるとすれば
被災者という 服を着せられてしまった人達が
自ら その服を脱ぎすてて ただの人として
強く そして 弱く 生きてく姿を見たいから
そして
いい気分になるために 支援者という服をきて
誇り高き人間を被災者扱いをする輩の けつを 蹴り上げるため
俺もそうならないように 己のけつを 蹴りながら。
みんな生きてる ちゃんと生きてる
みんな死んでく ちゃんと死んでく
2011年06月26日
咲き誇れ
さかれ 咲かれ 咲き誇れ
心にもなく 艶やか(アデヤカ)に
艶かしく(ナマメカシク)
夢にまで見た光景に
流れ流れて 生く 身霊
風のように 透明で
雲のように 自在
我が身を忘れて
己(オノ)が道を往く

心にもなく 艶やか(アデヤカ)に
艶かしく(ナマメカシク)
夢にまで見た光景に
流れ流れて 生く 身霊
風のように 透明で
雲のように 自在
我が身を忘れて
己(オノ)が道を往く

2011年06月10日
いきてる を しっておく at 南三陸
2011年6月9日 15:00
ついに こども夢花火 & みなみな屋 世界に向けて 動き出した。
http://www.rakuten.co.jp/minamina/
昨日から何度も 涙が あふれそうになりながら こらえてる。
みんなみんな 心の中にたくさんの思いと涙を抱えてる。
だけど ただ それを流せばいいわけじゃない。
そんなに 簡単に 洗い流して きれいさっぱりなんて できないよ。
ひとつひとつの ものに
ひとりひとりの こえに ちゃんと 記憶は刻まれて
それと一緒に 大事に大事に いきてんだから
はげましも 同情も よりそいも いらない
ただ そこで あいつが そいつが 生きる 生きてる
それを ただ しっておく。
そして ちゃんと 自分も そこで ここで
いきる いきてる って しっておく。
いま そんなことだと おもう。
よかったら そんな いきてる を みてみて。
こども夢花火 −10年先の花を咲かそうー
http://www.rakuten.co.jp/minamina/912126/912127/
俺も ちゃんと 生きてる。
うん 活きてる。
ついに こども夢花火 & みなみな屋 世界に向けて 動き出した。
http://www.rakuten.co.jp/minamina/
昨日から何度も 涙が あふれそうになりながら こらえてる。
みんなみんな 心の中にたくさんの思いと涙を抱えてる。
だけど ただ それを流せばいいわけじゃない。
そんなに 簡単に 洗い流して きれいさっぱりなんて できないよ。
ひとつひとつの ものに
ひとりひとりの こえに ちゃんと 記憶は刻まれて
それと一緒に 大事に大事に いきてんだから
はげましも 同情も よりそいも いらない
ただ そこで あいつが そいつが 生きる 生きてる
それを ただ しっておく。
そして ちゃんと 自分も そこで ここで
いきる いきてる って しっておく。
いま そんなことだと おもう。
よかったら そんな いきてる を みてみて。
こども夢花火 −10年先の花を咲かそうー
http://www.rakuten.co.jp/minamina/912126/912127/
俺も ちゃんと 生きてる。
うん 活きてる。
2011年05月03日
南三陸はたらき隊 でくのぼー
流玄改め アリー です。
この名前 南三陸では結構 受けがよくて
というのも はじめの2週間、南三陸のメインの避難所の
ベイサイドアリーナ(通称アリーナ)でさんざん働いたから
アリーナの アリーで 覚えやすいみたい(笑)
昨日いったん 南三陸町から戻りました。
2回あわせて 一ヶ月
すでに 南三陸を 愛しちゃってます。
最初の2週間
社協と共に町の災対本部がある1500人規模の避難所ベイサイドアリーナにて
ボラセンの立ち上げから支援物資の仕組みづくりをやり
現場にいて ボランティア とか 支援
という名の下に やりっぱなし だしっぱなしの 善意の
後始末の大変さと 後味の悪さをつくづく感じました。
南三陸町については
いまは もう 大量に ものや人を「入れる 与える」 時は過ぎ
そこにいる 人から生まれるエネルギーを
「出す そして 受け取る」 時期に来ていると思っています。
そして 僕には
善意というなのもとに行われる
一時の 支援、ボランティア、イベントごとや慰問より
そこで 生き 暮らすことに真剣な人たちの 尊厳や
日々の暮らし、 が 大切に思えてなりません。
現地の人が自分でできることと
ボランティアにしかできないことがきっとあると
僕はおもっています。
たとえばみなで力を合わせてできるような片付け作業や手仕事
特別な資格がなくても仕事として報酬を得てできることは現地の人が
医療やカウンセリング、風呂作り、がけの掃除など特殊な能力が必要なものや
話し相手、肩もみ など報酬に結びつかないものはボランティア など。
確かに現場は ひどく悲惨で悲しいものですが
どうしても 僕には そこに生きる人間が 助けられるべき可哀想な人には見えません。
胸に秘めた エネルギーは 出す場所を探して 噴火寸前のようにも思えます。
で、今は 彼らと共に
「はたらく をつくる」 を やっています。
ひとつの動きとしては
現地の人、無収入の人が心と懐をあっためられるようにと
南三陸はたらき隊 でくのぼー というのが 4/26からはじまりました
5月3日現在
20名の南三陸の人が参加登録し
僕の仲間数人と共にいくつかの現場(個人宅、民宿、倉庫など)を同時並行で
しっかり働きしっかり懐をあっためてもらってます
漁師さん、トラックの運ちゃん、整備士、民宿の若旦那
高校出たばかりの女の子、老いも若いも
おいちゃん、おばちゃんもみんな一緒になって動いてる
お金という緩衝材が一つ入ることで
自分もやってみようと 体が動いたり 仕事が頼めたり
ある女の子はこの状況だから親を少しでも助けたいと
真新しい作業服で男に混じって懸命に汗を流したり
なにより 自分たちの手で自分たちの集落を片付け
それをみた 集落の人が 俺もやるで、ここもお願い、
これも大丈夫かなと どんどん動き出し どんどん片付き
そして顔がすこしずつほどけて ほころんでいく
ここで起こる
「自分たちで やったんだ やってくんだ」
という地元の誇りは何物にも変えがたい
これをきっかけに話したことない人とも話し
これからここで生きていく人たちが深まっていく
それがなにより大事だと
最初の少しの動き出しなど 僕らがやることもあるけど
一番、復興への意思とエネルギーをもってるのは
いま、そこで 生きてる そして 生きてく 人たちなのだから
僕らはその人たちとともにうごき
力いっぱい 「生きてる」 を実感する。
それだけ。
ほんというと 現地も外側もなく
ただただ懸命に動くとそれにつられて周りも動く
それが渦になってどんどん広がっていくこと それが リアル。
最後に めっちゃ一緒に動いてる 漁師のあんちゃんの一言
この津波どうおもう? って問いに対して
「チャンス だとおもいます。」
と。
そのチャンスを奪わぬよう逃さぬよう
やっていこうと思います。
まだ詳細は発表できませんが
いま 彼発のアイディアの事業化の可能性を探ったり
町長含め町の観光課と共に 行う 町発信の新しい事業の創出や
社協とともに 現地の人を雇用して行う 現地向けのサービス事業なども
同時並行で動いています。
最後に
支援 や ボランティア や 善意 が
人の(自分も含めて) 生きる力や 尊厳、そしてエネルギーを 奪っていないか
もしかして彼らが自分で誇りをもってできる仕事を 勝手に肩代わりしたり
していないかよくよく考えて動かねばと強く強く 思っています
以下 参考までに でくのぼーの 働きさん募集の チラシの文面です。
南三陸はたらき隊 でくのぼー
◎働きさん募集中◎
現場に行ってそこに暮らす人との出会いの中からできる手伝いをしていきます。
手伝う内容は日々変わりますが今の所は片付け,運搬,清掃などが主な活動です。
それぞれにできることをできる範囲でやっていきますので
復興へ向かう気持ちをお持ちの方なら、年齢、性別、経験不問です。
まずはご連絡ください。現場は南三陸町周辺です。
(基本的には町内の方優先ですが町外の方でも現在無収入の方は応募が可能です)
報酬: でくのぼー基金から支援金として 1時間あたり 1,000円
*働く時間は内容によりますが概ね 9:00〜16:00の間です。(休憩あり)
*現場への送迎および必要な道具などは基金の方で用意が可能です
*1日だけの参加も可能です
◎南三陸はたらき隊 でくのぼー 及び でくのぼー基金とは
この活動は復興への思いを持った有志による非営利活動で
自ら復興に関わり 働く=傍を楽にすること そしてそれが 懐があったまる形 であることが
人の尊厳にとって大切だと考え「働く」を作る 活動をしています。
本来ならば互いに仕事を頼み合うことが一番だとおもいますが
今の状況を鑑みてしばらくの間、でくのぼー基金から支援金を支払うことになりました。
◎手伝い依頼も相談可能です
基本的に活動は出会いから始まりますがこんなことをしてほしいという相談も受け付けます
○活動期間 2011年4月15日〜9月15日まで
*活動体は利益を生まないので事務経費など運営にかかる諸経費は でくのぼー基金でまかないます
*でくのぼーは「雨にも負けず」のほめられもせず苦にもされない在り方から来ています。
南三陸はたらき隊 でくのぼー
PCメール alikawakita@gmail.com 所在 宮城県南三陸町周辺
*この活動は特定の企業、団体、宗教とは関係なく復興への思いをもった名もなきでくのぼーの集まりです。
この名前 南三陸では結構 受けがよくて
というのも はじめの2週間、南三陸のメインの避難所の
ベイサイドアリーナ(通称アリーナ)でさんざん働いたから
アリーナの アリーで 覚えやすいみたい(笑)
昨日いったん 南三陸町から戻りました。
2回あわせて 一ヶ月
すでに 南三陸を 愛しちゃってます。
最初の2週間
社協と共に町の災対本部がある1500人規模の避難所ベイサイドアリーナにて
ボラセンの立ち上げから支援物資の仕組みづくりをやり
現場にいて ボランティア とか 支援
という名の下に やりっぱなし だしっぱなしの 善意の
後始末の大変さと 後味の悪さをつくづく感じました。
南三陸町については
いまは もう 大量に ものや人を「入れる 与える」 時は過ぎ
そこにいる 人から生まれるエネルギーを
「出す そして 受け取る」 時期に来ていると思っています。
そして 僕には
善意というなのもとに行われる
一時の 支援、ボランティア、イベントごとや慰問より
そこで 生き 暮らすことに真剣な人たちの 尊厳や
日々の暮らし、 が 大切に思えてなりません。
現地の人が自分でできることと
ボランティアにしかできないことがきっとあると
僕はおもっています。
たとえばみなで力を合わせてできるような片付け作業や手仕事
特別な資格がなくても仕事として報酬を得てできることは現地の人が
医療やカウンセリング、風呂作り、がけの掃除など特殊な能力が必要なものや
話し相手、肩もみ など報酬に結びつかないものはボランティア など。
確かに現場は ひどく悲惨で悲しいものですが
どうしても 僕には そこに生きる人間が 助けられるべき可哀想な人には見えません。
胸に秘めた エネルギーは 出す場所を探して 噴火寸前のようにも思えます。
で、今は 彼らと共に
「はたらく をつくる」 を やっています。
ひとつの動きとしては
現地の人、無収入の人が心と懐をあっためられるようにと
南三陸はたらき隊 でくのぼー というのが 4/26からはじまりました
5月3日現在
20名の南三陸の人が参加登録し
僕の仲間数人と共にいくつかの現場(個人宅、民宿、倉庫など)を同時並行で
しっかり働きしっかり懐をあっためてもらってます
漁師さん、トラックの運ちゃん、整備士、民宿の若旦那
高校出たばかりの女の子、老いも若いも
おいちゃん、おばちゃんもみんな一緒になって動いてる
お金という緩衝材が一つ入ることで
自分もやってみようと 体が動いたり 仕事が頼めたり
ある女の子はこの状況だから親を少しでも助けたいと
真新しい作業服で男に混じって懸命に汗を流したり
なにより 自分たちの手で自分たちの集落を片付け
それをみた 集落の人が 俺もやるで、ここもお願い、
これも大丈夫かなと どんどん動き出し どんどん片付き
そして顔がすこしずつほどけて ほころんでいく
ここで起こる
「自分たちで やったんだ やってくんだ」
という地元の誇りは何物にも変えがたい
これをきっかけに話したことない人とも話し
これからここで生きていく人たちが深まっていく
それがなにより大事だと
最初の少しの動き出しなど 僕らがやることもあるけど
一番、復興への意思とエネルギーをもってるのは
いま、そこで 生きてる そして 生きてく 人たちなのだから
僕らはその人たちとともにうごき
力いっぱい 「生きてる」 を実感する。
それだけ。
ほんというと 現地も外側もなく
ただただ懸命に動くとそれにつられて周りも動く
それが渦になってどんどん広がっていくこと それが リアル。
最後に めっちゃ一緒に動いてる 漁師のあんちゃんの一言
この津波どうおもう? って問いに対して
「チャンス だとおもいます。」
と。
そのチャンスを奪わぬよう逃さぬよう
やっていこうと思います。
まだ詳細は発表できませんが
いま 彼発のアイディアの事業化の可能性を探ったり
町長含め町の観光課と共に 行う 町発信の新しい事業の創出や
社協とともに 現地の人を雇用して行う 現地向けのサービス事業なども
同時並行で動いています。
最後に
支援 や ボランティア や 善意 が
人の(自分も含めて) 生きる力や 尊厳、そしてエネルギーを 奪っていないか
もしかして彼らが自分で誇りをもってできる仕事を 勝手に肩代わりしたり
していないかよくよく考えて動かねばと強く強く 思っています
以下 参考までに でくのぼーの 働きさん募集の チラシの文面です。
南三陸はたらき隊 でくのぼー
◎働きさん募集中◎
現場に行ってそこに暮らす人との出会いの中からできる手伝いをしていきます。
手伝う内容は日々変わりますが今の所は片付け,運搬,清掃などが主な活動です。
それぞれにできることをできる範囲でやっていきますので
復興へ向かう気持ちをお持ちの方なら、年齢、性別、経験不問です。
まずはご連絡ください。現場は南三陸町周辺です。
(基本的には町内の方優先ですが町外の方でも現在無収入の方は応募が可能です)
報酬: でくのぼー基金から支援金として 1時間あたり 1,000円
*働く時間は内容によりますが概ね 9:00〜16:00の間です。(休憩あり)
*現場への送迎および必要な道具などは基金の方で用意が可能です
*1日だけの参加も可能です
◎南三陸はたらき隊 でくのぼー 及び でくのぼー基金とは
この活動は復興への思いを持った有志による非営利活動で
自ら復興に関わり 働く=傍を楽にすること そしてそれが 懐があったまる形 であることが
人の尊厳にとって大切だと考え「働く」を作る 活動をしています。
本来ならば互いに仕事を頼み合うことが一番だとおもいますが
今の状況を鑑みてしばらくの間、でくのぼー基金から支援金を支払うことになりました。
◎手伝い依頼も相談可能です
基本的に活動は出会いから始まりますがこんなことをしてほしいという相談も受け付けます
○活動期間 2011年4月15日〜9月15日まで
*活動体は利益を生まないので事務経費など運営にかかる諸経費は でくのぼー基金でまかないます
*でくのぼーは「雨にも負けず」のほめられもせず苦にもされない在り方から来ています。
南三陸はたらき隊 でくのぼー
PCメール alikawakita@gmail.com 所在 宮城県南三陸町周辺
*この活動は特定の企業、団体、宗教とは関係なく復興への思いをもった名もなきでくのぼーの集まりです。
2011年04月12日
一方的な善意より 仕事をつくりたい
つづき。。。
(昨日の文の思い的なところ)
先日の ブログ いまの気持ち
http://www.ryugen.jp/article/194585710.html
の問い
「心ある善意が 復興や 町の誇りを 奪っているのかもしれない。。。」
ってところから
こころある善意が
人としての尊厳や
現地との対等性を損なうだけでなく
ボランティアが本来有償であるはずの”仕事”を奪うのかもしれない。。。
って気になってきた。
じっさいこれから ボランティアが大量に投入されてする仕事って
実は 現地の人 含め 普通に人が
日当をもらってできる仕事もあるとおもうねん
それはもちろんいまを生きてくための
急場しのぎの日銭稼ぎかも知れんけど
現地の人にとっても 復興に向けた動きをしつつ
日銭が入るって事は大きいと思うし
県外から行く人も
勉強や仕事の合間にちょっとだけ物見胡散でいくんじゃなく
自分の力使って 稼ぎながら復興につくすってほうが
責任もやりがいも大きいんじゃないかなと。
そんな流れがいるんじゃないかな
俺がやってた物流の部分に関しても
町の職員は 有給
協力会社も会社としては 無償やけど スタッフは有給
各行政からの応援も ボランティアといいつつ 有給
なのに 現地被災者で中心になって動いてる人だけ
完全無給 そして長時間労働。
そして 個人でボランティアで来る人たちも。
それってなんか 変やとおもう
ボランティアも長期で入ろうとすると
やっぱり完全無給ではむずかしいから
どうしても短期になり どんどん人が変わり
それの対応でまた 人がいるという 矛盾も起こるし。
でも行政や国がその辺の仕組み作るまで
まってられるほどみな余裕はないし
復興にかかる仕事に関しては
国や行政から日当を出してもらえるよううごきつつ
同時並行で 目の前の小さいことをやっていく
仕事をはじめてしまうのはどうかと。
もちろんまだ おもいつきやから 荒いねんけど
たとえば
便利屋 デクノボー & デクノボー基金
いますぐに 必要でニーズのある仕事は
便利屋(よろずや&なんでもや)
片付けや大工仕事や送迎や話し相手や
在宅避難している人への物資の輸送など
なんでもかなえちゃう素人集団(デクノボー)
デクノボーとは 宮沢賢治の 雨にもまけずのなかにある
ほめられもせず苦にもされない 存在。
プロでなくてもいいしすごいことができなくてもいい。
ボランティアには頼みにくいことも
お金を払うと頼めることもあるんじゃないかな。
基本
3〜5人組ぐらいの 小さいチームで
現場をまわってできることをやってくイメージ。
(こちらには5人組という仕組みや 結い という仕組みが残っていたりする)
で、実際に仕事をどんどんしていくことで 生きていける実感を感じてく
そのなかからいろんな はたらきや仕組みもうまれるかもしれない
現地の人 も県外から来る人たちも
みんな最低限の収入(時給換算で700〜1000円程度)は得られる。
あまり報酬を高くしないのは いずれ自分の仕事を見つけたり、帰ってもらうため。
*報酬(収入)ってことじゃなく復興援助金みたいな形で渡せたらいいかも
依頼するお金のないひとは 自分もデクノボーとして 働く
自分も依頼したい仕事がある人同士のばあい 自分が働いた時間分を
等価交換で 人に働いてもらえるようにする(結いの仕組み)
働けなかったり
働いてもお金が足りない場合は デクノボー基金が集めた寄付金から
無期限無利子で 貸し付ける。(あげてしまわないところが味噌)
でどんどん 自分たちで働き復興していく。
東北の人は律儀やから きっと 返してきてくれる。
そもそも基金に寄付する人は 寄付だから返してくれなくても いいので
返ってきたお金は また誰かに融資したり必要なことに再投資したりする。
寄付するほうにしても
直接の働きに対してお金が使われるので気持ちいいんじゃないかな。
こんなん どうやろう。
まずは
俺がおったところの
めっちゃがんばってる
ボランティアのリーダーに
元 居酒屋 ママ がいて
絶対復活させるから そのときはきてな っていわれて
なんとしてもいきたいとおもった。
絶対 復活させたいとおもった
だから
その店を 復活させちゃう。
みんなの力で。
そして稼いでもらう。
そんなことをしてみたい
って 話したら 一緒にやるでって心強い仲間も手を上げてくれて
他にも同じようなことを考えてる有識者がいるって教えてくれる人もいて
そんな 流れが始まってるんやなって
ここち屋のときと同じで
また まったく 自分でやってる感なく
動かされるままにのっかってる感じで不思議。
とにかく 俺は
なもなき デクノボーとして
近々 現地にいって
やれること やってきます
協力希望の方や活動についてはこちらを見てください。
http://www.ryugen.jp/article/195354387.html
(昨日の文の思い的なところ)
先日の ブログ いまの気持ち
http://www.ryugen.jp/article/194585710.html
の問い
「心ある善意が 復興や 町の誇りを 奪っているのかもしれない。。。」
ってところから
こころある善意が
人としての尊厳や
現地との対等性を損なうだけでなく
ボランティアが本来有償であるはずの”仕事”を奪うのかもしれない。。。
って気になってきた。
じっさいこれから ボランティアが大量に投入されてする仕事って
実は 現地の人 含め 普通に人が
日当をもらってできる仕事もあるとおもうねん
それはもちろんいまを生きてくための
急場しのぎの日銭稼ぎかも知れんけど
現地の人にとっても 復興に向けた動きをしつつ
日銭が入るって事は大きいと思うし
県外から行く人も
勉強や仕事の合間にちょっとだけ物見胡散でいくんじゃなく
自分の力使って 稼ぎながら復興につくすってほうが
責任もやりがいも大きいんじゃないかなと。
そんな流れがいるんじゃないかな
俺がやってた物流の部分に関しても
町の職員は 有給
協力会社も会社としては 無償やけど スタッフは有給
各行政からの応援も ボランティアといいつつ 有給
なのに 現地被災者で中心になって動いてる人だけ
完全無給 そして長時間労働。
そして 個人でボランティアで来る人たちも。
それってなんか 変やとおもう
ボランティアも長期で入ろうとすると
やっぱり完全無給ではむずかしいから
どうしても短期になり どんどん人が変わり
それの対応でまた 人がいるという 矛盾も起こるし。
でも行政や国がその辺の仕組み作るまで
まってられるほどみな余裕はないし
復興にかかる仕事に関しては
国や行政から日当を出してもらえるよううごきつつ
同時並行で 目の前の小さいことをやっていく
仕事をはじめてしまうのはどうかと。
もちろんまだ おもいつきやから 荒いねんけど
たとえば
便利屋 デクノボー & デクノボー基金
いますぐに 必要でニーズのある仕事は
便利屋(よろずや&なんでもや)
片付けや大工仕事や送迎や話し相手や
在宅避難している人への物資の輸送など
なんでもかなえちゃう素人集団(デクノボー)
デクノボーとは 宮沢賢治の 雨にもまけずのなかにある
ほめられもせず苦にもされない 存在。
プロでなくてもいいしすごいことができなくてもいい。
ボランティアには頼みにくいことも
お金を払うと頼めることもあるんじゃないかな。
基本
3〜5人組ぐらいの 小さいチームで
現場をまわってできることをやってくイメージ。
(こちらには5人組という仕組みや 結い という仕組みが残っていたりする)
で、実際に仕事をどんどんしていくことで 生きていける実感を感じてく
そのなかからいろんな はたらきや仕組みもうまれるかもしれない
現地の人 も県外から来る人たちも
みんな最低限の収入(時給換算で700〜1000円程度)は得られる。
あまり報酬を高くしないのは いずれ自分の仕事を見つけたり、帰ってもらうため。
*報酬(収入)ってことじゃなく復興援助金みたいな形で渡せたらいいかも
依頼するお金のないひとは 自分もデクノボーとして 働く
自分も依頼したい仕事がある人同士のばあい 自分が働いた時間分を
等価交換で 人に働いてもらえるようにする(結いの仕組み)
働けなかったり
働いてもお金が足りない場合は デクノボー基金が集めた寄付金から
無期限無利子で 貸し付ける。(あげてしまわないところが味噌)
でどんどん 自分たちで働き復興していく。
東北の人は律儀やから きっと 返してきてくれる。
そもそも基金に寄付する人は 寄付だから返してくれなくても いいので
返ってきたお金は また誰かに融資したり必要なことに再投資したりする。
寄付するほうにしても
直接の働きに対してお金が使われるので気持ちいいんじゃないかな。
こんなん どうやろう。
まずは
俺がおったところの
めっちゃがんばってる
ボランティアのリーダーに
元 居酒屋 ママ がいて
絶対復活させるから そのときはきてな っていわれて
なんとしてもいきたいとおもった。
絶対 復活させたいとおもった
だから
その店を 復活させちゃう。
みんなの力で。
そして稼いでもらう。
そんなことをしてみたい
って 話したら 一緒にやるでって心強い仲間も手を上げてくれて
他にも同じようなことを考えてる有識者がいるって教えてくれる人もいて
そんな 流れが始まってるんやなって
ここち屋のときと同じで
また まったく 自分でやってる感なく
動かされるままにのっかってる感じで不思議。
とにかく 俺は
なもなき デクノボーとして
近々 現地にいって
やれること やってきます
協力希望の方や活動についてはこちらを見てください。
http://www.ryugen.jp/article/195354387.html
2011年04月11日
震災から1ヶ月 そしてこれから
今日で 地震から 一ヶ月
たくさんの
ほんとにたくさんの命のご冥福を祈りたい。
僕自身はあれ以来
ほんとに 生きている次元が
変わったような気がしています。
いまだ余震もほんとに多いです。
それぞれの居場所でご自愛ください。
近々
再度 南三陸町に行くつもりです。
今回は ただのなんでもない
一人のデクノボーとして行きます。
ほめられもせず苦にもされない
ありかたを模索しながら。
いま僕がフォーカスしているのは
●仕事 をつくること
●それを含む 日常 をつくること です。
まずはひとつひとつ
目の前の人が必要なことをやる、
便利屋さん的 動きを 作りたいと思っています。
いろいろ思うところはあり
考えてることもあるけど
こちらでプランをつくりすぎ
現場とずれるのは違うと思うので
現場をしっかり感じ
現地の人と動きながら考え
こちらで仕組みづくりをしてくれる仲間に
状況を報告しつつやっていきたいとおもいます。
大事だと思ってるのは
●支援 や 無償 や ボランティアという名のもとに
人の(自分も含め)尊厳や 生きる力を 奪わないようにすること
そして
●イベントごとや一過性のはげましや支援より
日常を取り戻せる可能性がみえる動き です。
---------------------------------------------------------------
■ 同行について
余震も多く
粉塵なども舞っている状況なので
簡単に 一緒に行こうといえる段階ではないけど
それでも 共にいきたいと思う人 できることはあります。
連絡ください。
自己責任で 基本的に自活できる人 限定です。
車がある人 便利屋さん的動きができる人優先。
希望者はまず問い合わせを
415@ryugen.jp
■ 東京の拠点
あと、友人が 自身の所有するアパートの一室を
東京の活動の拠点として9月まで提供してくれました。
中野区 西武新宿線沼袋駅3分
現在活用法を検討中で
現地から 東京に仕事を探しに来たいという方の
一時 宿泊所 などの使い方も考えています。
そんな方がおられたら 連絡ください。
■ ニーズレター
もうひとつ おもいつきですが
大体の生活関連物資が届き始めたいま
顔の見える支援、きめ細かい支援をしたい人もいると思うので
はがきに送り主(支援したい人)の宛名をかいてもらい
それを僕が現地の避難所や自宅に届け
それに現地の人が必要とするものや希望のものなどを
氏名や避難所名(住所があれば住所)と共に書いてもらい
はがきを送り主が受け取ったらそれを できる範囲で
各自が届けるというのはどうかと。
(避難所宛 郵便やゆうぱっくは届きます)
それがきっかけで文通がはじまるかもしれないし
どんな風になるのかはわからないけど
少なくとも 誰に届くかもわからず
在庫として山のように積みあがることはないとおもいます。
まだやったことがない動きなので
いろいろ問題点が出てきた場合は中止する可能性もありますし
返事が返ってくるとはかぎらないし
在る程度 顔や名前がわかる人に手渡したいと思っていますので
大量のはがきには対応できないかもしれないということも了承ください。
また現地の人に希望されたものを届けられないこともあるとおもいますが
その場合でも手紙ぐらいは送るようにしてほしいと思います。
そこからどんな付き合いになるかは想像できませんが
親友や家族に送るような気持ちでしてもらえたらうれしいな。
希望の方は 往復はがきの 往路部分の宛名に 僕の住所
267-0061 千葉市緑区土気町1306−38 川北英樹
行きとして送ってください。
その裏面には もし希望があれば どんな人に届けてほしいか
男性 女性 男の子 女の子 おおよその年齢 など(確実に希望に添えるかどうかはわかりません)
や ちょっとした思いを書いてください(この部分は こちらの確認用で 現地の人には届けない予定です)
そして復路部分の宛名に ご自身の住所をお書きください。
裏に添えるメッセージ的なものは ほんとに一言でいいとおもいます。
(例 ほしいものや必要なものを教えてください。的な)
その際 以下の文章も 参考にしてください。
「被災地の外部から被災者を支援する皆様へ」
http://www.ryugen.jp/article/195340225.html
南三陸町に 義援金を送りたい方はこちらです。
・振込先
七十七銀行 志津川支店(シチジュウシチギンコウ シヅガワシテン)
・口座番号
普通預金 5204208
・口座名義
南三陸町災害対策本部(ミナミサンリクチョウサイガイタイサクホンブ)
南三陸町長 佐藤仁(ミナミサンリクチョウチョウサトウジン)
これからも あまり力をいれずに
やることを やっていきたいとおもいますので
どうぞよろしくお願いです。
【川北流玄】
ryugen415@gmail.com
たくさんの
ほんとにたくさんの命のご冥福を祈りたい。
僕自身はあれ以来
ほんとに 生きている次元が
変わったような気がしています。
いまだ余震もほんとに多いです。
それぞれの居場所でご自愛ください。
近々
再度 南三陸町に行くつもりです。
今回は ただのなんでもない
一人のデクノボーとして行きます。
ほめられもせず苦にもされない
ありかたを模索しながら。
いま僕がフォーカスしているのは
●仕事 をつくること
●それを含む 日常 をつくること です。
まずはひとつひとつ
目の前の人が必要なことをやる、
便利屋さん的 動きを 作りたいと思っています。
いろいろ思うところはあり
考えてることもあるけど
こちらでプランをつくりすぎ
現場とずれるのは違うと思うので
現場をしっかり感じ
現地の人と動きながら考え
こちらで仕組みづくりをしてくれる仲間に
状況を報告しつつやっていきたいとおもいます。
大事だと思ってるのは
●支援 や 無償 や ボランティアという名のもとに
人の(自分も含め)尊厳や 生きる力を 奪わないようにすること
そして
●イベントごとや一過性のはげましや支援より
日常を取り戻せる可能性がみえる動き です。
---------------------------------------------------------------
■ 同行について
余震も多く
粉塵なども舞っている状況なので
簡単に 一緒に行こうといえる段階ではないけど
それでも 共にいきたいと思う人 できることはあります。
連絡ください。
自己責任で 基本的に自活できる人 限定です。
車がある人 便利屋さん的動きができる人優先。
希望者はまず問い合わせを
415@ryugen.jp
■ 東京の拠点
あと、友人が 自身の所有するアパートの一室を
東京の活動の拠点として9月まで提供してくれました。
中野区 西武新宿線沼袋駅3分
現在活用法を検討中で
現地から 東京に仕事を探しに来たいという方の
一時 宿泊所 などの使い方も考えています。
そんな方がおられたら 連絡ください。
■ ニーズレター
もうひとつ おもいつきですが
大体の生活関連物資が届き始めたいま
顔の見える支援、きめ細かい支援をしたい人もいると思うので
はがきに送り主(支援したい人)の宛名をかいてもらい
それを僕が現地の避難所や自宅に届け
それに現地の人が必要とするものや希望のものなどを
氏名や避難所名(住所があれば住所)と共に書いてもらい
はがきを送り主が受け取ったらそれを できる範囲で
各自が届けるというのはどうかと。
(避難所宛 郵便やゆうぱっくは届きます)
それがきっかけで文通がはじまるかもしれないし
どんな風になるのかはわからないけど
少なくとも 誰に届くかもわからず
在庫として山のように積みあがることはないとおもいます。
まだやったことがない動きなので
いろいろ問題点が出てきた場合は中止する可能性もありますし
返事が返ってくるとはかぎらないし
在る程度 顔や名前がわかる人に手渡したいと思っていますので
大量のはがきには対応できないかもしれないということも了承ください。
また現地の人に希望されたものを届けられないこともあるとおもいますが
その場合でも手紙ぐらいは送るようにしてほしいと思います。
そこからどんな付き合いになるかは想像できませんが
親友や家族に送るような気持ちでしてもらえたらうれしいな。
希望の方は 往復はがきの 往路部分の宛名に 僕の住所
267-0061 千葉市緑区土気町1306−38 川北英樹
行きとして送ってください。
その裏面には もし希望があれば どんな人に届けてほしいか
男性 女性 男の子 女の子 おおよその年齢 など(確実に希望に添えるかどうかはわかりません)
や ちょっとした思いを書いてください(この部分は こちらの確認用で 現地の人には届けない予定です)
そして復路部分の宛名に ご自身の住所をお書きください。
裏に添えるメッセージ的なものは ほんとに一言でいいとおもいます。
(例 ほしいものや必要なものを教えてください。的な)
その際 以下の文章も 参考にしてください。
「被災地の外部から被災者を支援する皆様へ」
http://www.ryugen.jp/article/195340225.html
南三陸町に 義援金を送りたい方はこちらです。
・振込先
七十七銀行 志津川支店(シチジュウシチギンコウ シヅガワシテン)
・口座番号
普通預金 5204208
・口座名義
南三陸町災害対策本部(ミナミサンリクチョウサイガイタイサクホンブ)
南三陸町長 佐藤仁(ミナミサンリクチョウチョウサトウジン)
これからも あまり力をいれずに
やることを やっていきたいとおもいますので
どうぞよろしくお願いです。
【川北流玄】
ryugen415@gmail.com
被災地の外部から被災者を支援する皆様へ
橋本久仁彦さんの友達の井上ウィマラさんらが作成したものです
大切なことやとおもうのでシェアーします。
被災地の外部から被災者を支援する皆様へ
被災者の方、そして支援者の方のこころの安全を守るため、以下のご配慮をお願いいたします。
しないほうが良いこと・・
◎ 被災した人を弱者として「〜してあげる」
「かわいそうに」といった態度や話し方をしないで下さい。
相手の自尊心を傷つけることになります。また「頑張って」と
安易に励ますことも控えましょう。
どう頑張れば良いのかもわからない時があります。
「頑張って」や「頑張ろう」という言葉は、何と言えばよいのかわからない時に
自然と出てくる言葉ですが、できるだけ使わないようにしましょう。
◎ 体験を詳細に聞くことは控えましょう。
また、被災者が体験していることや心情を、憶測で決めつけてしまわないようにして下さい。
実際、ほとんどのことが、当事者でなければわからないことです。
◎ その人が、被災体験について話をしているときに、話題を変えないようにしましょう。
◎ 「あなたのお気持ちがわかります」と言ったり、
相手が聞いていないのに、あなた自身の体験を話さないようにしましょう。
たとえあなたが同じような被災や死別の体験をしていたとしても
、今は、その人の体験や感情が重要なのです。
◎ 「時間が癒してくれますよ」、「何か他のことを考えるようにしたら」、
「神のおぼしめしです」、といった言葉で、
心の痛みを落ち着かせようとしないで下さい。たとえ善意から出た言葉であったとしても、
悲しみが強い時には、そのような言葉は助けにならず、
余計に傷つけてしまう場合もあります。
◎ 求められていない時に、アドバイスをするのは避けてください。
◎ 守りきれない手助けを、約束しないで下さい。
不確かな情報も、提供しないように気をつけて下さい。
◎ 一定期間が経てば悲しみを克服できると考えないで下さい。
悲しむことは、通常、人々が予想しているよりもずっと長く続くものです。
気をつけてほしいこと・・
◎ 話を聞くときは、その人が何を望み、何を伝えたいのかに焦点をあて、
今できる支援から考えていきましょう。
日常生活で支援できそうなことがあれば、
最初にその人に何をして欲しいかを尋ねると良いでしょう。
支援の方法はいろいろあります。
例えば、その人の必要なものを調達すること、
安否確認を手伝うこと、子どもの面倒を見ること、
何かの手続きをする時に一緒に付き添うこと、物を修理すること、などがあります。
現在の被災者のニーズに沿うことは、たとえそれが物質的な支援であったとしても、
心のケアにつながっています。
◎ 支援活動に参加した自分の思いを、
現地のニーズに合わせて修正することが必要な場合もあります。
被災地では、自分の思ったような活動ができないことが多いのが現状です。
◎ 自分が短期間しか支援できないことを認識しましょう。
そして被災者の多くは、心に踏み込まれることに抵抗があるということを知っておきましょう。
その人が話をしたくない時は、そっと見守りましょう。
◎ 中には、感情を人に見せることを好まない人や、ひとりの時にしか泣けない人がいます。
泣いていないからといって、その人が悲しんでいないということではないことを、
心にとめておいて下さい。
◎ 「これからどんな風に生きていけば・・」と言われることがあるかもしれません。
その言葉が出たとしても、あなたにその答えを求めているわけではありません。
ただそばにいて話を聞くことが、大きな助けになります。
◎ 被災者のプライベートな話題を聴くこともあると思いますが
、他の被災者や支援者と共有した方が良い情報と、
プライバシーの保護をするべき情報を、きちんと分けて扱うように、
十分な注意を払いましょう。信頼関係を築くことが支援の第一歩です。
◎ 少し時間がたつと、怒りや不満の感情をまわりにぶつけることがあります。
たとえ支援者に対しての言動であっても、支援者を責めているのではありません。
悲しみや行き場のないつらさが、怒りとなって表れているのだと考えてください。
これらの感情への対応は専門家でも非常に難しいですが、
できるだけ非難や否定をせずに感情を受けとめましょう。
その後で、実際に困っていることを聴いてください。
◎ ひとりきりになりやすい被災者の人(子ども)には、できるだけ声をかけて下さい。
◎ 子どもは元気そうにしていても、自分の気持ちを、
親や周囲の人に話せずにいる場合があります。
できるだけ日常生活に近い安全な状態になるように配慮しながら、注意深く見守りましょう。
◎ 子どもには、わかりやすい言葉で話して下さい。また、大人ばかりが話さず、
子どもが話せるように待って下さい。多く話す必要はありませんが、
子どもたちのニーズを探ることも重要です。
◎ たとえどんなに厳しい現実であったとしても、子どもに決してうそをつかないで下さい。
説明するときは、子どもの年齢に合わせた言葉を使い、
必要以上に怖がらせないようにしましょう。
◎ 子どもの支援には、その子どもをもつ親への支援が大切です。
親が安心して休める場を提供し、親の不安を和らげることが、子どもの支援につながります。
◎ まずは自分の心身の安全を確保できる事が、支援者として最も重要なことです。
そして、支援者自身の過労や燃え尽きに十分に注意して下さい。
被災地での活動は、支援したいという気持ちや精神的緊張から、
過剰に活動してしまいやすい環境にあります。
また、心に傷をもつ人たちのサポートは、
強い疲労感や無力感を引き起こすことを覚えておき、
自分で休息をとるように配慮して下さい。
<参考資料>
英国のビリーブメントケアCruseサイト http://www.cruselochaber.freeuk.com/ideas.html
兵庫県こころのケアセンター サイコロジカルファーストエイド実施の手引き http://www.j-hits.org/psychological/index.html
<作成> Japan Tsunami Grief Support Project (JTGSプロジェクト)
瀬藤乃理子(甲南女子大学)、米虫圭子(京都産業大学)、黒川雅代子(龍谷大学短期大学部)、井上ウィマラ(高野山大学)
大切なことやとおもうのでシェアーします。
被災地の外部から被災者を支援する皆様へ
被災者の方、そして支援者の方のこころの安全を守るため、以下のご配慮をお願いいたします。
しないほうが良いこと・・
◎ 被災した人を弱者として「〜してあげる」
「かわいそうに」といった態度や話し方をしないで下さい。
相手の自尊心を傷つけることになります。また「頑張って」と
安易に励ますことも控えましょう。
どう頑張れば良いのかもわからない時があります。
「頑張って」や「頑張ろう」という言葉は、何と言えばよいのかわからない時に
自然と出てくる言葉ですが、できるだけ使わないようにしましょう。
◎ 体験を詳細に聞くことは控えましょう。
また、被災者が体験していることや心情を、憶測で決めつけてしまわないようにして下さい。
実際、ほとんどのことが、当事者でなければわからないことです。
◎ その人が、被災体験について話をしているときに、話題を変えないようにしましょう。
◎ 「あなたのお気持ちがわかります」と言ったり、
相手が聞いていないのに、あなた自身の体験を話さないようにしましょう。
たとえあなたが同じような被災や死別の体験をしていたとしても
、今は、その人の体験や感情が重要なのです。
◎ 「時間が癒してくれますよ」、「何か他のことを考えるようにしたら」、
「神のおぼしめしです」、といった言葉で、
心の痛みを落ち着かせようとしないで下さい。たとえ善意から出た言葉であったとしても、
悲しみが強い時には、そのような言葉は助けにならず、
余計に傷つけてしまう場合もあります。
◎ 求められていない時に、アドバイスをするのは避けてください。
◎ 守りきれない手助けを、約束しないで下さい。
不確かな情報も、提供しないように気をつけて下さい。
◎ 一定期間が経てば悲しみを克服できると考えないで下さい。
悲しむことは、通常、人々が予想しているよりもずっと長く続くものです。
気をつけてほしいこと・・
◎ 話を聞くときは、その人が何を望み、何を伝えたいのかに焦点をあて、
今できる支援から考えていきましょう。
日常生活で支援できそうなことがあれば、
最初にその人に何をして欲しいかを尋ねると良いでしょう。
支援の方法はいろいろあります。
例えば、その人の必要なものを調達すること、
安否確認を手伝うこと、子どもの面倒を見ること、
何かの手続きをする時に一緒に付き添うこと、物を修理すること、などがあります。
現在の被災者のニーズに沿うことは、たとえそれが物質的な支援であったとしても、
心のケアにつながっています。
◎ 支援活動に参加した自分の思いを、
現地のニーズに合わせて修正することが必要な場合もあります。
被災地では、自分の思ったような活動ができないことが多いのが現状です。
◎ 自分が短期間しか支援できないことを認識しましょう。
そして被災者の多くは、心に踏み込まれることに抵抗があるということを知っておきましょう。
その人が話をしたくない時は、そっと見守りましょう。
◎ 中には、感情を人に見せることを好まない人や、ひとりの時にしか泣けない人がいます。
泣いていないからといって、その人が悲しんでいないということではないことを、
心にとめておいて下さい。
◎ 「これからどんな風に生きていけば・・」と言われることがあるかもしれません。
その言葉が出たとしても、あなたにその答えを求めているわけではありません。
ただそばにいて話を聞くことが、大きな助けになります。
◎ 被災者のプライベートな話題を聴くこともあると思いますが
、他の被災者や支援者と共有した方が良い情報と、
プライバシーの保護をするべき情報を、きちんと分けて扱うように、
十分な注意を払いましょう。信頼関係を築くことが支援の第一歩です。
◎ 少し時間がたつと、怒りや不満の感情をまわりにぶつけることがあります。
たとえ支援者に対しての言動であっても、支援者を責めているのではありません。
悲しみや行き場のないつらさが、怒りとなって表れているのだと考えてください。
これらの感情への対応は専門家でも非常に難しいですが、
できるだけ非難や否定をせずに感情を受けとめましょう。
その後で、実際に困っていることを聴いてください。
◎ ひとりきりになりやすい被災者の人(子ども)には、できるだけ声をかけて下さい。
◎ 子どもは元気そうにしていても、自分の気持ちを、
親や周囲の人に話せずにいる場合があります。
できるだけ日常生活に近い安全な状態になるように配慮しながら、注意深く見守りましょう。
◎ 子どもには、わかりやすい言葉で話して下さい。また、大人ばかりが話さず、
子どもが話せるように待って下さい。多く話す必要はありませんが、
子どもたちのニーズを探ることも重要です。
◎ たとえどんなに厳しい現実であったとしても、子どもに決してうそをつかないで下さい。
説明するときは、子どもの年齢に合わせた言葉を使い、
必要以上に怖がらせないようにしましょう。
◎ 子どもの支援には、その子どもをもつ親への支援が大切です。
親が安心して休める場を提供し、親の不安を和らげることが、子どもの支援につながります。
◎ まずは自分の心身の安全を確保できる事が、支援者として最も重要なことです。
そして、支援者自身の過労や燃え尽きに十分に注意して下さい。
被災地での活動は、支援したいという気持ちや精神的緊張から、
過剰に活動してしまいやすい環境にあります。
また、心に傷をもつ人たちのサポートは、
強い疲労感や無力感を引き起こすことを覚えておき、
自分で休息をとるように配慮して下さい。
<作成> Japan Tsunami Grief Support Project (JTGSプロジェクト)
瀬藤乃理子(甲南女子大学)、米虫圭子(京都産業大学)、黒川雅代子(龍谷大学短期大学部)、井上ウィマラ(高野山大学)
2011年04月06日
いまの気持ち(善き人は読まないで)
地震からの動き
3月11日 中3の娘の卒業式後地震発生 みなの安否を確認
3月18日 友人とのつながりで
神戸の団体のメンバーやけんと共に現地にいくことが決まる
3月21日 物資をあつめる
3月22日 都内のNPOから物資を預かり
関西組と合流し宮城県登米市に向けて出発
3月23日 南三陸町へ入り 志津川小学校の避難所に到着 物資を届ける
3月24日 町内各地避難所を回り 物資を届けながら現状や物資の届き具合を調査
3月25日 気仙沼、石巻のボランティアセンターや被災地の調査
3月26日 南三陸町社会福祉協議会と連携し災害ボランティアセンターの立ち上げを行い
さらに各避難所を回り 現場の声を聞く
3月27日 南三陸ベイサイドアリーナにて 支援物資の搬出入と整理に着手
さまざまな不満の調整のため 関係者を集めた会議をすることになる
3月28日 町職員、ヤマト運輸、被災地のボランティア、
俺たちでどのようにしていくかを話し合い
できるだけこちらに引き継いでいきたいとの依頼を受ける
3月29日 ヤマト運輸の仕事を引き継ぎ 徹底的に体育館の整理をはじめる
3月30日 搬入担当の 町職員について手足となり動く
3月31日 ボランティアセンターから送られてくる数十人のボランティアさんと共に
物資の整理、搬出搬入を行う
4月1日 徐々に中心的に動いている地元被災者のボランティアさんに仕事を任される
4月2日 おおよその倉庫の整理を終え
神戸の団体から来た長期メンバーに仕事を引継ぎ 第一フェーズを終える
4月3日 はじめてじっくり南三陸町を味わい 修験道の道を歩き
聖なる山から町をみおろし復興を祈願する
4月4日 大変お世話になった登米市登米町の蛭沢会館を出発
福島相馬のボランティアセンターに
放射能関連の物資を届け 南相馬などを回り、原子力被害の不気味さをしる
一時帰宅 いまを振り返りこれからの動きを考える
怒涛のような 2週間
何がほんとに必要でなにがほんとに大切なのか 俺なりにいっぱい考えた。
たくさんのひとたちの 復興への思いが 現地には あつまる
思いは 裏返せば 重い
恩には 報いなければならない
自然の脅威にさらされ、家族も友達も家も財産も仕事もすべてを失い
これから先どうしたらいいかと 途方にくれている
ひとたちに贈られる 世界中からの はげまし。
はげますほうは きっと善意
だけど そこにはなんの 責任もない
やったらやりっぱなし
与えたら与えっぱなし
与えられたほうは なにか返さなくちゃ 元気にならなくちゃ がんばらなくちゃって
いっぱいいっぱい 重い思いが つみあがってく
ありがとうの言葉とともに 申し訳なさが どんどんつみあがってく
それでいいのかな? それがいいのかな?
戸倉地区っていう地区があって
そこは一週間ぐらい 完全孤立した地域
物資も届かず 道もなく 家もすべてながされた地域
そこの避難所にいた 一人のリーダーは 誇り高く 俺に こういった。
「俺たちは 自分たちで 次の日には道をつくり ここのひとみんなで力をあわせやってきた。
俺たちの結束は 固く 力があるんです。 だから大丈夫。ボランティアはいりません」 と。
なにかやりたい なにか役に立ちたいと やってきては
本来 現地のひとたちが できる そしてやっているはずのことを
横取りし ボランティアを気取ることが ほんとにいいのだろうか。
それまで見向きもしなかったのに
急に 我が物顔で 町を 仕切り始める 善意の団体は
果たしてほんとに 必要なのだろうか。
ただより高いものは ない とはよくいったもので
効果や効率はよくなるだろうけど
ほんとにそれが いいことなんだろうか。
俺が 動いていた ベイサイドアリーナの
被災者でありボランティアをまとめていた人も
こういってた。
「外の人がはいってくるまでは みんな自分たちでやってたんよ
やけど 他の人がきたとたん さーっとひいってった
なんでやろね なんでやろね みんないなくなっちゃったよ
でも 私はこれぐらいしか できることないから やるけどね」
と なんだか さみしそうに。
これでいいのかな。 町も国も ボランティアや支援物資に頼ってていいのかな?
町の人の 結束や 誇りはどこにいっちゃうのかな?
支援物資も 全国から たくさんたくさん届いてる
だけど 贈ったらそれでいいのかな?
箱に記された メッセージ
「あなたたちは大丈夫 私たちがいつもそばにいる」
「。。。。。。。」
現場では 不眠不休で その物資の山の対応と整理に追われてる。
支援という名のもとに どんどん仕事を増やし
そのために大量のボランティアが投入される
これってなんかおかしくないかな?
うずたかく積み上げられた
毛布やオムツやタオルや生理用品やマスクやカイロ
これは誰の支援かな?
支援をしたいっていう思いを かなえたいだけの やりっぱなしの だしっぱなしじゃないのかな?
物資の担当者にいってみた。
「いったん足りている物資を県のほうなどで止められないんですか?」 と
「そうしたいけど いまそれをしたら
もうあそこには送らないってことになるかもしれないから。。。」
善意ではいってくる 団体も
たかだかと自分たちの名を冠した 車や制服に身をつつみ
いかにも いいことをしてます風情におもわず 鼻をつまみたくなる。
こうしたほうがいい ああしたほうがいいと 外部の人間が ごちゃごちゃいって
うまくいと ほら 俺たちがいったから うまくいったでしょ って いい人気取りする
私たちは あの地震のときに こんなことをした団体です。
だからこの商品も安心です、買ってくださいと。
これはひねくれものの 俺の主観。
だけど いま
ほんとになにが起こってて ほんとはなにが必要かを
しっかり感じ 考えないと と おれは 現場でおもったんよ。ほんまに。
きっとこれから偉い人や すごい人がこの町にやってきて
こんな町にしたほうがいいですよ
と 文化も歴史も思い出も美しく美化し
地べたをはって いきてきた人間を 無視して
住民不在の計画がすすめられるのは なんかなーと。
だれがなにをやろうと それが ほんとにこの町にとっていいことならいいんだけど。。。
すべての経験は その人のものであるように
今回の経験も それぞれのものであるはずで
助けられる人と 助ける人なんて わけられるわけはない
支援とか 援助とか そんなつもりなく ただ そこで生きて
体が動くままに 動けたらいい
そこで 己の時をしっかり刻み 味わっていきるだけ
俺は ただの名も無き とおりすがりの人間として
目の前に あることを ひとつひとつ 丁寧にできたらいいなとおもってる。
町の人は いま必死に元気をだしてる。
どうじに いれた力をぬき
われに帰ると 内側から壊れてしまうとおもってるひともおおくいる。
いま うろうろ おろおろ 揺れ動く俺の気持ち
自分が正しいんだと信じ込んでしまわないよう
自らに ひとつの 問いを 提示して
いったんここで つづく。。。。。。
「心ある善意が 復興や 町の誇りを 奪っているのかもしれない。。。」
それでもきっと 動くけど
続き・・・
3月11日 中3の娘の卒業式後地震発生 みなの安否を確認
3月18日 友人とのつながりで
神戸の団体のメンバーやけんと共に現地にいくことが決まる
3月21日 物資をあつめる
3月22日 都内のNPOから物資を預かり
関西組と合流し宮城県登米市に向けて出発
3月23日 南三陸町へ入り 志津川小学校の避難所に到着 物資を届ける
3月24日 町内各地避難所を回り 物資を届けながら現状や物資の届き具合を調査
3月25日 気仙沼、石巻のボランティアセンターや被災地の調査
3月26日 南三陸町社会福祉協議会と連携し災害ボランティアセンターの立ち上げを行い
さらに各避難所を回り 現場の声を聞く
3月27日 南三陸ベイサイドアリーナにて 支援物資の搬出入と整理に着手
さまざまな不満の調整のため 関係者を集めた会議をすることになる
3月28日 町職員、ヤマト運輸、被災地のボランティア、
俺たちでどのようにしていくかを話し合い
できるだけこちらに引き継いでいきたいとの依頼を受ける
3月29日 ヤマト運輸の仕事を引き継ぎ 徹底的に体育館の整理をはじめる
3月30日 搬入担当の 町職員について手足となり動く
3月31日 ボランティアセンターから送られてくる数十人のボランティアさんと共に
物資の整理、搬出搬入を行う
4月1日 徐々に中心的に動いている地元被災者のボランティアさんに仕事を任される
4月2日 おおよその倉庫の整理を終え
神戸の団体から来た長期メンバーに仕事を引継ぎ 第一フェーズを終える
4月3日 はじめてじっくり南三陸町を味わい 修験道の道を歩き
聖なる山から町をみおろし復興を祈願する
4月4日 大変お世話になった登米市登米町の蛭沢会館を出発
福島相馬のボランティアセンターに
放射能関連の物資を届け 南相馬などを回り、原子力被害の不気味さをしる
一時帰宅 いまを振り返りこれからの動きを考える
怒涛のような 2週間
何がほんとに必要でなにがほんとに大切なのか 俺なりにいっぱい考えた。
たくさんのひとたちの 復興への思いが 現地には あつまる
思いは 裏返せば 重い
恩には 報いなければならない
自然の脅威にさらされ、家族も友達も家も財産も仕事もすべてを失い
これから先どうしたらいいかと 途方にくれている
ひとたちに贈られる 世界中からの はげまし。
はげますほうは きっと善意
だけど そこにはなんの 責任もない
やったらやりっぱなし
与えたら与えっぱなし
与えられたほうは なにか返さなくちゃ 元気にならなくちゃ がんばらなくちゃって
いっぱいいっぱい 重い思いが つみあがってく
ありがとうの言葉とともに 申し訳なさが どんどんつみあがってく
それでいいのかな? それがいいのかな?
戸倉地区っていう地区があって
そこは一週間ぐらい 完全孤立した地域
物資も届かず 道もなく 家もすべてながされた地域
そこの避難所にいた 一人のリーダーは 誇り高く 俺に こういった。
「俺たちは 自分たちで 次の日には道をつくり ここのひとみんなで力をあわせやってきた。
俺たちの結束は 固く 力があるんです。 だから大丈夫。ボランティアはいりません」 と。
なにかやりたい なにか役に立ちたいと やってきては
本来 現地のひとたちが できる そしてやっているはずのことを
横取りし ボランティアを気取ることが ほんとにいいのだろうか。
それまで見向きもしなかったのに
急に 我が物顔で 町を 仕切り始める 善意の団体は
果たしてほんとに 必要なのだろうか。
ただより高いものは ない とはよくいったもので
効果や効率はよくなるだろうけど
ほんとにそれが いいことなんだろうか。
俺が 動いていた ベイサイドアリーナの
被災者でありボランティアをまとめていた人も
こういってた。
「外の人がはいってくるまでは みんな自分たちでやってたんよ
やけど 他の人がきたとたん さーっとひいってった
なんでやろね なんでやろね みんないなくなっちゃったよ
でも 私はこれぐらいしか できることないから やるけどね」
と なんだか さみしそうに。
これでいいのかな。 町も国も ボランティアや支援物資に頼ってていいのかな?
町の人の 結束や 誇りはどこにいっちゃうのかな?
支援物資も 全国から たくさんたくさん届いてる
だけど 贈ったらそれでいいのかな?
箱に記された メッセージ
「あなたたちは大丈夫 私たちがいつもそばにいる」
「。。。。。。。」
現場では 不眠不休で その物資の山の対応と整理に追われてる。
支援という名のもとに どんどん仕事を増やし
そのために大量のボランティアが投入される
これってなんかおかしくないかな?
うずたかく積み上げられた
毛布やオムツやタオルや生理用品やマスクやカイロ
これは誰の支援かな?
支援をしたいっていう思いを かなえたいだけの やりっぱなしの だしっぱなしじゃないのかな?
物資の担当者にいってみた。
「いったん足りている物資を県のほうなどで止められないんですか?」 と
「そうしたいけど いまそれをしたら
もうあそこには送らないってことになるかもしれないから。。。」
善意ではいってくる 団体も
たかだかと自分たちの名を冠した 車や制服に身をつつみ
いかにも いいことをしてます風情におもわず 鼻をつまみたくなる。
こうしたほうがいい ああしたほうがいいと 外部の人間が ごちゃごちゃいって
うまくいと ほら 俺たちがいったから うまくいったでしょ って いい人気取りする
私たちは あの地震のときに こんなことをした団体です。
だからこの商品も安心です、買ってくださいと。
これはひねくれものの 俺の主観。
だけど いま
ほんとになにが起こってて ほんとはなにが必要かを
しっかり感じ 考えないと と おれは 現場でおもったんよ。ほんまに。
きっとこれから偉い人や すごい人がこの町にやってきて
こんな町にしたほうがいいですよ
と 文化も歴史も思い出も美しく美化し
地べたをはって いきてきた人間を 無視して
住民不在の計画がすすめられるのは なんかなーと。
だれがなにをやろうと それが ほんとにこの町にとっていいことならいいんだけど。。。
すべての経験は その人のものであるように
今回の経験も それぞれのものであるはずで
助けられる人と 助ける人なんて わけられるわけはない
支援とか 援助とか そんなつもりなく ただ そこで生きて
体が動くままに 動けたらいい
そこで 己の時をしっかり刻み 味わっていきるだけ
俺は ただの名も無き とおりすがりの人間として
目の前に あることを ひとつひとつ 丁寧にできたらいいなとおもってる。
町の人は いま必死に元気をだしてる。
どうじに いれた力をぬき
われに帰ると 内側から壊れてしまうとおもってるひともおおくいる。
いま うろうろ おろおろ 揺れ動く俺の気持ち
自分が正しいんだと信じ込んでしまわないよう
自らに ひとつの 問いを 提示して
いったんここで つづく。。。。。。
「心ある善意が 復興や 町の誇りを 奪っているのかもしれない。。。」
それでもきっと 動くけど
続き・・・
2011年03月28日
南三陸町より
3月22日に千葉の自宅を出発し 南三陸町に入り
現地にて7日がたったので 報告です。
この7日間 朝から晩まで走ってきました。
現場を見、声を聞き、様々な調整をし、物資を届け
避難所をまわり、気仙沼や石巻にもいき
毎日、飯をたき、車で寝ました。
南三陸の様子は 報道されてるとおり
完全に町ごとなくなり壊滅状態。
登米市からのトンネルを越えてしばらくすると
世界が一変します。
大半の人が家を無くし
9500人がいまだ避難所生活です。
生活 と呼ぶには程遠い状況でみなさん過ごされています。
が、元気です。
そして がんばってます。
元気出して とか がんばって とか 大丈夫! とか
そんな言葉を外側から掛けるのが恥ずかしくなるほど
元気に がんばってます。
いっぱい いっぱい 無理をして
体も心も疲れきっていて それでも 元気で がんばってます。
電気も水道もなく いまだ風呂にも入れない状態ですが 元気です。
といいたいです。
と いわせてください。
いま俺は 3人の仲間とともに
南三陸町の災害ボランティアセンターの立ち上げに関わり
支援物資が 9500人の町の人の手にきちんと渡るようにする物資担当として
重要な仕事をさせてもらうことになりました。
避難所を一つ一つ回り いまの現状やこれからの不安をきいたり
全国から大量にとどけられる物資を整理し 町の人に届けたり
これから復興へむけてやるべき仕事は大量かつ大切な仕事です。
この仕事は
いままで 避難所に避難している方、
町の職員の方、そしてヤマト運輸の方たちが
火事場の馬鹿力でつくってきたものです。
だけど彼らにはできるだけはやくそれぞれ自分自身の生活や
仕事に戻ってもらわないといけません。
今日も関係者が一同に介して
一回目の ミーティングを行いできるだけスムーズに
仕事を引き継げるようにしたいと要請をいただきました。
いまこのときにここにいて この仕事をすることが
天が俺に与えた仕事だと思ってやるつもりです。 もちろん 元気に。
今日、はじめて着替えをし、隣町の登米の一般の方のおたくで
ご飯をいただき風呂に入らせてもらってこれをかいてます。
電気があること
水がでること
道があること
ガソリンがあること
あったかいごはんがたべられること
トイレがあること
そんな あたりまえのことが
ありえないほど ありがたいです。
ただ 電気のない 南三陸町の夜空は 星がいっぱいです。
めっちゃきれいです。
南三陸町の人たちも めっちゃきれいです。
ほんまに。
そして いつか きっと 南三陸町も
めっちゃきれいな はずです。
いまはインタビューをしたり
写真をとったりする気持ちになれないので
そういった情報はないけど 許してな。
活動の内容は
チーム絆のブログにあります
(一緒にうごいてる団体のWEBのトピック一覧に)
http://united-earth.jp/team-kizuna/
とにかく 元気に やることやります。
実は
今日も町長が「いま一番町の人に必要なものはなんですか?」
という質問に 「お金です」 と 言われていました。
体育館や町の倉庫に山たかく積み上げられる運命の支援物資より
いつどのように町の人に届くかわからない募金より
いまこの瞬間、 顔の見える支援や
復興につかえるお金 そして人間が必要なんだと
現場にいると強く思います。
川北流玄
現地にて7日がたったので 報告です。
この7日間 朝から晩まで走ってきました。
現場を見、声を聞き、様々な調整をし、物資を届け
避難所をまわり、気仙沼や石巻にもいき
毎日、飯をたき、車で寝ました。
南三陸の様子は 報道されてるとおり
完全に町ごとなくなり壊滅状態。
登米市からのトンネルを越えてしばらくすると
世界が一変します。
大半の人が家を無くし
9500人がいまだ避難所生活です。
生活 と呼ぶには程遠い状況でみなさん過ごされています。
が、元気です。
そして がんばってます。
元気出して とか がんばって とか 大丈夫! とか
そんな言葉を外側から掛けるのが恥ずかしくなるほど
元気に がんばってます。
いっぱい いっぱい 無理をして
体も心も疲れきっていて それでも 元気で がんばってます。
電気も水道もなく いまだ風呂にも入れない状態ですが 元気です。
といいたいです。
と いわせてください。
いま俺は 3人の仲間とともに
南三陸町の災害ボランティアセンターの立ち上げに関わり
支援物資が 9500人の町の人の手にきちんと渡るようにする物資担当として
重要な仕事をさせてもらうことになりました。
避難所を一つ一つ回り いまの現状やこれからの不安をきいたり
全国から大量にとどけられる物資を整理し 町の人に届けたり
これから復興へむけてやるべき仕事は大量かつ大切な仕事です。
この仕事は
いままで 避難所に避難している方、
町の職員の方、そしてヤマト運輸の方たちが
火事場の馬鹿力でつくってきたものです。
だけど彼らにはできるだけはやくそれぞれ自分自身の生活や
仕事に戻ってもらわないといけません。
今日も関係者が一同に介して
一回目の ミーティングを行いできるだけスムーズに
仕事を引き継げるようにしたいと要請をいただきました。
いまこのときにここにいて この仕事をすることが
天が俺に与えた仕事だと思ってやるつもりです。 もちろん 元気に。
今日、はじめて着替えをし、隣町の登米の一般の方のおたくで
ご飯をいただき風呂に入らせてもらってこれをかいてます。
電気があること
水がでること
道があること
ガソリンがあること
あったかいごはんがたべられること
トイレがあること
そんな あたりまえのことが
ありえないほど ありがたいです。
ただ 電気のない 南三陸町の夜空は 星がいっぱいです。
めっちゃきれいです。
南三陸町の人たちも めっちゃきれいです。
ほんまに。
そして いつか きっと 南三陸町も
めっちゃきれいな はずです。
いまはインタビューをしたり
写真をとったりする気持ちになれないので
そういった情報はないけど 許してな。
活動の内容は
チーム絆のブログにあります
(一緒にうごいてる団体のWEBのトピック一覧に)
http://united-earth.jp/team-kizuna/
とにかく 元気に やることやります。
実は
今日も町長が「いま一番町の人に必要なものはなんですか?」
という質問に 「お金です」 と 言われていました。
体育館や町の倉庫に山たかく積み上げられる運命の支援物資より
いつどのように町の人に届くかわからない募金より
いまこの瞬間、 顔の見える支援や
復興につかえるお金 そして人間が必要なんだと
現場にいると強く思います。
川北流玄
2011年02月05日
イタリアで 座ってきます
去年は 店(場) が 降ってきて
おもしろおかしく やりきった。
旧暦の新年を迎えて
今年は なにがくるんかなーって
おもってたら
旅
が 降ってきた
昨日の夕方
くうと話してて
イタリア いきたいんよね
ってぽろっと口からこぼれ出て
いったらええやん
っていわれて
きたー って感じやったから
HISの さおり の店に しまる間際に駆け込んで
イタリア いきたいねんけど
って調べてもらったら
今度の月曜に 1席だけ 空いてるよ って
それ以降は 20日過ぎてもいっぱいみたい
やと。
なにー
俺のためにそんな計らいをー
ということで
天の神様のゆうとおり
月曜から イタリア あたりに 1ヶ月 いくことに。
動くときのあまりの展開のはやさに
われながら びつくりしつつ
怒涛の流れに 乗らせていただきます。
ヨーロッパの街で
座って まいる所存です。
なので 帰ってきたら また
なにをいいだすかわからんけど よろしゅうに
おもしろおかしく やりきった。
旧暦の新年を迎えて
今年は なにがくるんかなーって
おもってたら
旅
が 降ってきた
昨日の夕方
くうと話してて
イタリア いきたいんよね
ってぽろっと口からこぼれ出て
いったらええやん
っていわれて
きたー って感じやったから
HISの さおり の店に しまる間際に駆け込んで
イタリア いきたいねんけど
って調べてもらったら
今度の月曜に 1席だけ 空いてるよ って
それ以降は 20日過ぎてもいっぱいみたい
やと。
なにー
俺のためにそんな計らいをー
ということで
天の神様のゆうとおり
月曜から イタリア あたりに 1ヶ月 いくことに。
動くときのあまりの展開のはやさに
われながら びつくりしつつ
怒涛の流れに 乗らせていただきます。
ヨーロッパの街で
座って まいる所存です。
なので 帰ってきたら また
なにをいいだすかわからんけど よろしゅうに
2011年01月20日
夢を叶える為にいきてるんじゃない
夢を持て
夢を叶えろ
あきらめるな
できるまでやるんだ
そんな声が街にこだまする
わからんでもないが
頭で考えた夢を叶える為に
オレらは生きてるわけじゃない
夢があるだのないだの
そんなちっぽけなことに振り回されるんじゃない
成長とか成功とか向上とか達成とか
そんなことより
いまに起こるすべてを夢のように思えること
いまに起こるすべてを夢のように味わうこと
それが大事なんちゃうかな
それはええ夢やったり悪夢やったりするけど
みんなすでに夢を生きてる
夢の中を夢中で生きてる
夢を叶えろ
あきらめるな
できるまでやるんだ
そんな声が街にこだまする
わからんでもないが
頭で考えた夢を叶える為に
オレらは生きてるわけじゃない
夢があるだのないだの
そんなちっぽけなことに振り回されるんじゃない
成長とか成功とか向上とか達成とか
そんなことより
いまに起こるすべてを夢のように思えること
いまに起こるすべてを夢のように味わうこと
それが大事なんちゃうかな
それはええ夢やったり悪夢やったりするけど
みんなすでに夢を生きてる
夢の中を夢中で生きてる
2010年11月28日
流れる赤
流れる赤
今のお前から逃げるんじゃない
喰らいつけ 喰らいつけ
ぎりぎり じりじりと 食らいつけ
待つ事なくして 来る事はない
行く事なくして 出る事はない
お前の耳になりたい
お前の口になりたい
お前の鼻になりたい
お前の瞳になりたい
お前の心になりたい
お前の魂になりたい
つながってるとかいうことすらなく
俺たちはひとつだ
足すことも 引くこともなく
俺たちは全てだ
どこに向かうわけじゃない
なにかに成ろうってわけでもない
ただ ただ いまを いきるのだ
吸って吐き 喰って出し 寝て起きる
吐いて吸い 出して喰い 起きて寝る
出逢い 抱き合い 傷つけ合いながら
内に 流れる 赤を ひたむきに感じ
外に 流れる 赤を ひたすら味わうのだ
お前がお前を忘れ
オレがおれを忘れ
溶けてゆく 溶けてゆく 溶けてゆけ
お前の耳になりたい
お前の口になりたい
お前の鼻になりたい
お前の瞳になりたい
お前の心になりたい
お前の魂になりたい
つながってるとかいうことすらなく
俺たちはひとつだ
足すことも 引くこともなく
俺たちは全てだ
今のお前から逃げるんじゃない
喰らいつけ 喰らいつけ
ぎりぎり じりじりと 食らいつけ
待つ事なくして 来る事はない
行く事なくして 出る事はない
お前の耳になりたい
お前の口になりたい
お前の鼻になりたい
お前の瞳になりたい
お前の心になりたい
お前の魂になりたい
つながってるとかいうことすらなく
俺たちはひとつだ
足すことも 引くこともなく
俺たちは全てだ
どこに向かうわけじゃない
なにかに成ろうってわけでもない
ただ ただ いまを いきるのだ
吸って吐き 喰って出し 寝て起きる
吐いて吸い 出して喰い 起きて寝る
出逢い 抱き合い 傷つけ合いながら
内に 流れる 赤を ひたむきに感じ
外に 流れる 赤を ひたすら味わうのだ
お前がお前を忘れ
オレがおれを忘れ
溶けてゆく 溶けてゆく 溶けてゆけ
お前の耳になりたい
お前の口になりたい
お前の鼻になりたい
お前の瞳になりたい
お前の心になりたい
お前の魂になりたい
つながってるとかいうことすらなく
俺たちはひとつだ
足すことも 引くこともなく
俺たちは全てだ
2010年11月18日
沈みゆく太陽とともに
沈みゆく太陽を眺めながら
落ちてゆく 私を 省みる
落ちて 墜ちて 堕ちて どこまでも落ちて
土の中にてっぺんからのめり込み
真っ暗闇に手を伸ばす
手探りでのびてゆく底で
ふいになにかに包まれる
すべての私は土の中
押し合う事もへし合う事もなく
無尽蔵に広がる大地の中で
ぬくぬくと溶けはじめる
表ではいがみ合い 戦っているようでいて
私たちは離れない 離れ得ないのだ
永遠の瞬間の中で溺れて流されて
行き着くあてはなくとも
きっと何処かへと導かれ たどりつく
くりかえされることなどなにもなく
同じ事など2度と起こらない
怖じ気づいたり とまどったり
けつまづいたりしながら
それを血肉に変えてゆく
悲しみも哀しみも 慈しみの種になり
誰からともなくその存在に愛おしさがつのってゆく
心がどこに消えたかもわからないほど
凍てついてしまったとしても
地の底にある灼熱のマグマの前で
それはたやすく融かされゆくのだ
お前だけじゃない
お前一人だけだと思い込むんじゃない
包まれて抱かれてるそのぬくもりに
ただ ただ身をあずけるのだ
追いかけると届かず
逃げだすと捕らえられる
望みは叶わず
信ずれば裏切られる
ならば空しく 全てを空にして
己を滅し 諸手をあげてとけてゆこう
ありてある 起こりて起こるすべてのものに
身をゆだね流され融けてゆく
そのなかで漂い ただただ安らぎながら 消え去るのだ
事が起こればたんたんとそれを為し
消えゆけばあっさり忘れ去る
己などというどこにもないものと決別し
そこいらへんに捨ててしまうのだ
沈みゆく太陽とともに
落ちてゆく 私を 省みる
落ちて 墜ちて 堕ちて どこまでも落ちて
土の中にてっぺんからのめり込み
真っ暗闇に手を伸ばす
手探りでのびてゆく底で
ふいになにかに包まれる
すべての私は土の中
押し合う事もへし合う事もなく
無尽蔵に広がる大地の中で
ぬくぬくと溶けはじめる
表ではいがみ合い 戦っているようでいて
私たちは離れない 離れ得ないのだ
永遠の瞬間の中で溺れて流されて
行き着くあてはなくとも
きっと何処かへと導かれ たどりつく
くりかえされることなどなにもなく
同じ事など2度と起こらない
怖じ気づいたり とまどったり
けつまづいたりしながら
それを血肉に変えてゆく
悲しみも哀しみも 慈しみの種になり
誰からともなくその存在に愛おしさがつのってゆく
心がどこに消えたかもわからないほど
凍てついてしまったとしても
地の底にある灼熱のマグマの前で
それはたやすく融かされゆくのだ
お前だけじゃない
お前一人だけだと思い込むんじゃない
包まれて抱かれてるそのぬくもりに
ただ ただ身をあずけるのだ
追いかけると届かず
逃げだすと捕らえられる
望みは叶わず
信ずれば裏切られる
ならば空しく 全てを空にして
己を滅し 諸手をあげてとけてゆこう
ありてある 起こりて起こるすべてのものに
身をゆだね流され融けてゆく
そのなかで漂い ただただ安らぎながら 消え去るのだ
事が起こればたんたんとそれを為し
消えゆけばあっさり忘れ去る
己などというどこにもないものと決別し
そこいらへんに捨ててしまうのだ
沈みゆく太陽とともに
2010年11月17日
自己表現という呪縛
自己というありもしないものを 表現しろと いうやから。
己を知り それを人に わかりやすく 表現しろと。
それができないと 立派な人間ではないかのように。
そうしてとまどいながら 周囲からの情報をかき集め
自己 らしきものを形作り それを 表現してみる。
結果 それは 周りが期待する それ でしかなく
どこまでいっても 本人は 私が 表現されてるようには感じられない。
そうしてどんどんわからなくなる。
私って なに。 自分ってどこ。
そんなものない。
表現されうる 自己なんかない。
自己を表現しないと 理解されないというような馬鹿げた呪縛から逃れよう。
私というものが存在するなら
表現という行為などしなくとも
自ずと 表出 されている。表れ出ている。
隠しても もれてる。
騙しても ばれてる。
すでに みえてる。 すでに 表れている。
すべての ”私” を通して 宇宙が 表れてる。
すべての ”私” を通して 宇宙が 流れてる。
Let it be.
己を知り それを人に わかりやすく 表現しろと。
それができないと 立派な人間ではないかのように。
そうしてとまどいながら 周囲からの情報をかき集め
自己 らしきものを形作り それを 表現してみる。
結果 それは 周りが期待する それ でしかなく
どこまでいっても 本人は 私が 表現されてるようには感じられない。
そうしてどんどんわからなくなる。
私って なに。 自分ってどこ。
そんなものない。
表現されうる 自己なんかない。
自己を表現しないと 理解されないというような馬鹿げた呪縛から逃れよう。
私というものが存在するなら
表現という行為などしなくとも
自ずと 表出 されている。表れ出ている。
隠しても もれてる。
騙しても ばれてる。
すでに みえてる。 すでに 表れている。
すべての ”私” を通して 宇宙が 表れてる。
すべての ”私” を通して 宇宙が 流れてる。
Let it be.
2010年11月10日
意志も意図も そんなものいらない
物語は やってくる
物語は いつもここにある
自分で考えて
自分で決めて
自分でうごく という世界から
物語が考えて
物語が決めて
物語がうごく という世界へ
この世界はおおきなおおきな物語を生きてる
そのなかのちいさなちいさな物語を俺たちは生かされてる
意志も意図も選択も そんなものいらない
俺たちは ただ 固く掴んだ手を ほどいて その物語に 融けて行くだけ
自ら分ける 自分という世界から
自ずと融ける 自融(ジユウ)の 世界へ
物語は いつもここにある
自分で考えて
自分で決めて
自分でうごく という世界から
物語が考えて
物語が決めて
物語がうごく という世界へ
この世界はおおきなおおきな物語を生きてる
そのなかのちいさなちいさな物語を俺たちは生かされてる
意志も意図も選択も そんなものいらない
俺たちは ただ 固く掴んだ手を ほどいて その物語に 融けて行くだけ
自ら分ける 自分という世界から
自ずと融ける 自融(ジユウ)の 世界へ
2010年11月07日
いまは未来と過去のあいだじゃない
今 というものは
過去と 未来の 間にあるんじゃない
過去や 未来は 時間という観念の中
そう 頭の中に ある。
目の前には 一度もあらわれたこともないし
これから あらわることもない
その観念で いまをとらえようとすると いつも 過ぎ去ってしまう
未来がいまを追いかけ
過去がいまから逃げて行く
いま は いまにある
それは 時の中じゃなく 時の横を歩いてる
過去と 未来の 間にあるんじゃない
過去や 未来は 時間という観念の中
そう 頭の中に ある。
目の前には 一度もあらわれたこともないし
これから あらわることもない
その観念で いまをとらえようとすると いつも 過ぎ去ってしまう
未来がいまを追いかけ
過去がいまから逃げて行く
いま は いまにある
それは 時の中じゃなく 時の横を歩いてる
2010年09月22日
今じゃない何か ここじゃないどこか
しばらく 一人 旅をした。
瀬戸内の島を 6つ 一人 旅をした。
砂にねっころがって
満天の星を 眺めながら
波の 行ったり来たりする音とともに 眠りに落ち
夢の中で 大空を舞い
鳥のさえずりで 目覚める
4回 海に 日が沈むのをみ
4回 海から 日がのぼるのをみ
1回 海に 月がしずむのをみ
1回 海が 陸になって 島に繋がるのをみた
ほとんど 誰とも話さず 無言で ひとり
見えるものを 見て
聞こえる 音をきき
そこにあるものに 触れ あじわった
真っ白な 白鷺と 真っ黒な カラスが 遠からず近からず 戯れて
潮が満ち 潮がひいた
そして どにいても なにをしてても
いま で ここ なんだ って
あたりまえのことをあたりまえにあらためて思った
おれは どこにいっても ここにいて
おれは いつなにをしてても いまに いる
どことか なにとか いつとか
ぜんぜん たいした事じゃない
いまから逃れるために さがす なにか
私から 逃れるために 求める わたし
ここから逃れるために いずる どこか
それを やってる限り
どこへいっても ここじゃない
なにをやっても それじゃない
いつまでたっても わたしじゃない
アート も 旅 も 自然志向 も
エコロジー も ブルジョワジー の お戯れ
生きるか死ぬかを そこで たっぷり味わうものの前にいて
それは なんとも 陳腐で 滑稽な お戯れ
わからないものを わかったような ふりをして
はー だの ホー だの いいながら 記録におさめて さようなら
なにも どこにも 残らない
なにも どこにも 届かない
記録なんていらない
記憶なんていらない
いまはきりとれない
ここはきりとれないよ
いつ どこにいても ただ あたりまえのことをして それを
十分に 味わえる人で あろう
すごいひとじゃなくても
すごいことじゃなくても
すごいゆめじゃなくても
いま ここに あり それを 生きること それがええな。
瀬戸内の島を 6つ 一人 旅をした。
砂にねっころがって
満天の星を 眺めながら
波の 行ったり来たりする音とともに 眠りに落ち
夢の中で 大空を舞い
鳥のさえずりで 目覚める
4回 海に 日が沈むのをみ
4回 海から 日がのぼるのをみ
1回 海に 月がしずむのをみ
1回 海が 陸になって 島に繋がるのをみた
ほとんど 誰とも話さず 無言で ひとり
見えるものを 見て
聞こえる 音をきき
そこにあるものに 触れ あじわった
真っ白な 白鷺と 真っ黒な カラスが 遠からず近からず 戯れて
潮が満ち 潮がひいた
そして どにいても なにをしてても
いま で ここ なんだ って
あたりまえのことをあたりまえにあらためて思った
おれは どこにいっても ここにいて
おれは いつなにをしてても いまに いる
どことか なにとか いつとか
ぜんぜん たいした事じゃない
いまから逃れるために さがす なにか
私から 逃れるために 求める わたし
ここから逃れるために いずる どこか
それを やってる限り
どこへいっても ここじゃない
なにをやっても それじゃない
いつまでたっても わたしじゃない
アート も 旅 も 自然志向 も
エコロジー も ブルジョワジー の お戯れ
生きるか死ぬかを そこで たっぷり味わうものの前にいて
それは なんとも 陳腐で 滑稽な お戯れ
わからないものを わかったような ふりをして
はー だの ホー だの いいながら 記録におさめて さようなら
なにも どこにも 残らない
なにも どこにも 届かない
記録なんていらない
記憶なんていらない
いまはきりとれない
ここはきりとれないよ
いつ どこにいても ただ あたりまえのことをして それを
十分に 味わえる人で あろう
すごいひとじゃなくても
すごいことじゃなくても
すごいゆめじゃなくても
いま ここに あり それを 生きること それがええな。
2010年07月29日
人にどうこういわせるな
なぁ
自分の人生と
一番 一緒におるんは 自分やん。
自分の プロ は 自分以外におらんやん。
だれかに あなたは どうだとか こうだとかいわれて
思い当たる節があるからって
自分がおもうことより そっちを信用するよな
ことは せんとってくれ
それを いいわけに 人生を作らんとってくれ
自分の人生と
一番 一緒におるんは 自分やん。
自分の プロ は 自分以外におらんやん。
だれかに あなたは どうだとか こうだとかいわれて
思い当たる節があるからって
自分がおもうことより そっちを信用するよな
ことは せんとってくれ
それを いいわけに 人生を作らんとってくれ
2010年07月20日
おかん ここに
きょう
おかんと きゅうきゅうしゃに ゆられた
すごく かるく なった そのひとを だきあげ
そのひとが さむいから と くーらーをとめて
きゅうきゅうしゃに ゆられた
そのなかと そのそと は ちがう せかいが はしってる
くるまの かべいちまいで へだてられた そのせかいは
まるで ずっとあけられることのない おるごーるのなかのように
おとがいっぱいつまってるのに しずかで しずかで しずかだ
このひとに いっぱい あやまらなきゃ
このひとに いっぱい あやまらなけりゃ
そして このひとも きっと いっぱい あやまってる
おたがい あやまらなけりゃならないのに
なにも いわず そして いえず しずけさと ともにいる
おかん なんか かわいそう
ひとを かわいそうなんておもうほど
つけあがりたくないけど
おれ あんた が かわいそう
そんな ちぃっちゃい むねのなかに
いろんな しんどいこと いっぱい かかえて
おれ あんた が かわいそう
なんども なきそうになったけど
なんの なみだか ぜんぜん わからんから
なけんかった なけんかったよ
がまんは いかんよ
ひとりは いかんよ
かといって なんもしてやれんやろけど
しばらく ここに いたら ええよ
しばらく ここに いたら ええよ
おかんと きゅうきゅうしゃに ゆられた
すごく かるく なった そのひとを だきあげ
そのひとが さむいから と くーらーをとめて
きゅうきゅうしゃに ゆられた
そのなかと そのそと は ちがう せかいが はしってる
くるまの かべいちまいで へだてられた そのせかいは
まるで ずっとあけられることのない おるごーるのなかのように
おとがいっぱいつまってるのに しずかで しずかで しずかだ
このひとに いっぱい あやまらなきゃ
このひとに いっぱい あやまらなけりゃ
そして このひとも きっと いっぱい あやまってる
おたがい あやまらなけりゃならないのに
なにも いわず そして いえず しずけさと ともにいる
おかん なんか かわいそう
ひとを かわいそうなんておもうほど
つけあがりたくないけど
おれ あんた が かわいそう
そんな ちぃっちゃい むねのなかに
いろんな しんどいこと いっぱい かかえて
おれ あんた が かわいそう
なんども なきそうになったけど
なんの なみだか ぜんぜん わからんから
なけんかった なけんかったよ
がまんは いかんよ
ひとりは いかんよ
かといって なんもしてやれんやろけど
しばらく ここに いたら ええよ
しばらく ここに いたら ええよ
2010年06月09日
いなな という なまえ
さいきん
ちょっと よびなを かえようかとおもってて
まだ なににするか きめてないねんけど
いまはまだ
なまえ
なし
の かしらもじをとって
いなな で いばらくはいくことに。
りゅうげんは もう 15ねんぐらいつかってて
きにいってるねんけど
5がつ17にちに
こうごうせいして めにひかりがはいってから
ちょっと いろいろへんかしてる。
かんのんさまは 両性具有やねんて。
もともとおれも 両性やねんけど
だんせいせいを けっこうだしてきてるから
これからは もちょっと 両性的にいこかなともおもってみたり。
たいしつもかわって
たべるものもかわったんよね
いま きほん しろいものと みどりのものしかたべなくなって
いちにち いっしょくせいかつを してるねん
だからってべつに けんこうしこうなわけじゃなくて
からだが そうなってる
にくも さかなも しょうゆも ちょっといまはたべたくないかんじ。
だから ちょっと なまえもかえてみよかなーってねー
ということで しばらく いなな で。
ちょっと よびなを かえようかとおもってて
まだ なににするか きめてないねんけど
いまはまだ
なまえ
なし
の かしらもじをとって
いなな で いばらくはいくことに。
りゅうげんは もう 15ねんぐらいつかってて
きにいってるねんけど
5がつ17にちに
こうごうせいして めにひかりがはいってから
ちょっと いろいろへんかしてる。
かんのんさまは 両性具有やねんて。
もともとおれも 両性やねんけど
だんせいせいを けっこうだしてきてるから
これからは もちょっと 両性的にいこかなともおもってみたり。
たいしつもかわって
たべるものもかわったんよね
いま きほん しろいものと みどりのものしかたべなくなって
いちにち いっしょくせいかつを してるねん
だからってべつに けんこうしこうなわけじゃなくて
からだが そうなってる
にくも さかなも しょうゆも ちょっといまはたべたくないかんじ。
だから ちょっと なまえもかえてみよかなーってねー
ということで しばらく いなな で。
2010年06月05日
なにか という魔物
いまのよに あまりにはんらんしている 「なにか」
「なにか」をやってるから「なにか」にいき
その「なにか」を体験して帰ってくる
「だれか」がいるから「だれか」にあいにいき
その「だれか」にあって帰ってくる
それいがいのものはきょくりょくさけて ないもののようにあつかう
そりゃ「なにか」や「だれか」をけいけんするという
もくてきはたっせられるやろうけど それいがいのことは。。。。。。
じぶんのよそくできないことが
ひび どんどんおこってくることに たえられないひとは
どんどん 「なにか」と「だれか」をふやす
それで いそがしい いそがしいっていうてるけど
それって ただ じぶんやとおもいこんでる ものが
あんしんするために たてたよていを なぞってるだけじゃないだろか
なんの 「なにか」も ないじかん
なんの 「だれか」も ないじかん
そんなときに ほんとに なにかがおこり
まだしらない だれかとであうような そんなきがしてる
what なに のないせかい =いやーなにっていわれてもこれ。
why なぜ なんてないせかい =なんでっていわれてもなー。
Which どちらも いいせかい =どっちもええしどっちでもええやん
Who だれ でもいいせかい =なにもんでもないわたしとあなた
Where どこ でもいいせかい =ここ
When いつ でもいいせかい = いま
そして
How をおしえたりならったりせずじぶんであじわうせかい
= あーこれってこうなってんのかー なるほどー
そんなせかいが
そこまできてるよ
5w1H いみのせかいの じゅばくから ときはなたれようやー
「なにか」をやってるから「なにか」にいき
その「なにか」を体験して帰ってくる
「だれか」がいるから「だれか」にあいにいき
その「だれか」にあって帰ってくる
それいがいのものはきょくりょくさけて ないもののようにあつかう
そりゃ「なにか」や「だれか」をけいけんするという
もくてきはたっせられるやろうけど それいがいのことは。。。。。。
じぶんのよそくできないことが
ひび どんどんおこってくることに たえられないひとは
どんどん 「なにか」と「だれか」をふやす
それで いそがしい いそがしいっていうてるけど
それって ただ じぶんやとおもいこんでる ものが
あんしんするために たてたよていを なぞってるだけじゃないだろか
なんの 「なにか」も ないじかん
なんの 「だれか」も ないじかん
そんなときに ほんとに なにかがおこり
まだしらない だれかとであうような そんなきがしてる
what なに のないせかい =いやーなにっていわれてもこれ。
why なぜ なんてないせかい =なんでっていわれてもなー。
Which どちらも いいせかい =どっちもええしどっちでもええやん
Who だれ でもいいせかい =なにもんでもないわたしとあなた
Where どこ でもいいせかい =ここ
When いつ でもいいせかい = いま
そして
How をおしえたりならったりせずじぶんであじわうせかい
= あーこれってこうなってんのかー なるほどー
そんなせかいが
そこまできてるよ
5w1H いみのせかいの じゅばくから ときはなたれようやー
2010年05月31日
すべてが演技に
降ってくるいきざまを つづけてると
いま 「ある」 自分は すべて演技にしかならなくなる
そとがわにあらわすものはすべて
うちがわは いつも しずかにおだやかに ながれてるから。
そうなってはじめて
そとがわのせかいに こんとろーるされる 「わたし」から
かいほうされて ただおちついていられるようなきがする
いま 「ある」 自分は すべて演技にしかならなくなる
そとがわにあらわすものはすべて
うちがわは いつも しずかにおだやかに ながれてるから。
そうなってはじめて
そとがわのせかいに こんとろーるされる 「わたし」から
かいほうされて ただおちついていられるようなきがする
2010年05月23日
いのちのいのり
さいきんおもうのは
しすてむとか みーてぃんぐとか こんせぷととか
びじょんとか きかくとか こみゅにけーしょんほうとか
そんなもの いらないなーってこと。
もっと なにもきめないなかで うじゃうじゃもごもごと
うごめいていけることをしんらいしてもええんちゃうかなー
だいじなんは ひびたんたんとおこること
そのなかでみえてくる いのち と いのり やなって
だから いのちのいのりってうたつくったよ
「いのちのいのり」
いろんなこと いままで あったやん
だれにもいえんことも おまえ してきたやん
いきがってはじかれ いきすぎてころぶ
いきいそいで 命 やめようとする
うらぶれてくさり うずくまってこごえ
うさんくさいと うしろゆびをさされ
いつも それでも いのちは おまえを
なんにもいわず ゆるしてる
どんな ときでも いのりはおまえの
むねのおくでひびいてる
いえに 帰ろう お前のいのちのいえに
いまを おどろう 命のいのりに のせて
いつも いのちは こころの痛みのなかに
いつも いのちは なみだのしずくのあとに
いろんなこと いままであったやん
ええことも悪いことも いっぱいみてきたやん
いいひとぶってつかれ いかれたふりもできない
いいわけするあいてさえいない
おいつめられてなげき おしだまってこどく
おまえがおまえをわからない
いつも それでも いのちは おまえを
なんにもいわず ゆるしてる
どんな ときでも いのりはおまえの
むねのおくでひびいてる
いえに 帰ろう お前のいのちのいえに
いまを おどろう 命のいのりに のせて
いつも いのちは こころの痛みのなかに
いつも いのちは なみだのしずくのあとに
いえに 帰ろう お前のいのちのいえに
いまを おどろう 命のいのりに のせて
いまを うたおう 命の祈りのうたを
いまをいきよう いのちのいのりのみちを
しすてむとか みーてぃんぐとか こんせぷととか
びじょんとか きかくとか こみゅにけーしょんほうとか
そんなもの いらないなーってこと。
もっと なにもきめないなかで うじゃうじゃもごもごと
うごめいていけることをしんらいしてもええんちゃうかなー
だいじなんは ひびたんたんとおこること
そのなかでみえてくる いのち と いのり やなって
だから いのちのいのりってうたつくったよ
「いのちのいのり」
いろんなこと いままで あったやん
だれにもいえんことも おまえ してきたやん
いきがってはじかれ いきすぎてころぶ
いきいそいで 命 やめようとする
うらぶれてくさり うずくまってこごえ
うさんくさいと うしろゆびをさされ
いつも それでも いのちは おまえを
なんにもいわず ゆるしてる
どんな ときでも いのりはおまえの
むねのおくでひびいてる
いえに 帰ろう お前のいのちのいえに
いまを おどろう 命のいのりに のせて
いつも いのちは こころの痛みのなかに
いつも いのちは なみだのしずくのあとに
いろんなこと いままであったやん
ええことも悪いことも いっぱいみてきたやん
いいひとぶってつかれ いかれたふりもできない
いいわけするあいてさえいない
おいつめられてなげき おしだまってこどく
おまえがおまえをわからない
いつも それでも いのちは おまえを
なんにもいわず ゆるしてる
どんな ときでも いのりはおまえの
むねのおくでひびいてる
いえに 帰ろう お前のいのちのいえに
いまを おどろう 命のいのりに のせて
いつも いのちは こころの痛みのなかに
いつも いのちは なみだのしずくのあとに
いえに 帰ろう お前のいのちのいえに
いまを おどろう 命のいのりに のせて
いまを うたおう 命の祈りのうたを
いまをいきよう いのちのいのりのみちを
2010年05月06日
貧 は シェアするということ
貧しい
ネガティブなイメージが つきまとうけど
ほんまに そうやろか?
分ける と
貝 の 組み合わせ
貝 は 昔の貨幣のなごりで財産を現す。
あるものを 分ける
もってるものを 分ける
それは やみ嫌うことなんやろか。
すでに 分ける シェアする
使いまわす ってことで 循環する 世界が 俺の前には もう きてる。
もってるものを 分ける そして みんな で 共有する = 貧
なんか すごい ええ感じ。
俺の周りに お金あんまりもたへんやつ おるけど
みんな 分けるの 大好きで どんどん 分けて分けて
自分も 分けてもらって にっこにこ 笑って 生きてる。
分けることができるってことは 持ってるってことやから。
カンボジアや ラオス に いったときも そのへんの感じを いっぱい感じた。
逆に 富
ウ冠 = 家 に 一 + 口 + 田
田で作った米を 家で 一つの口で 食う。
なんか さみしい。。。。。
漢字 っておもろいわ やっぱり。
ネガティブなイメージが つきまとうけど
ほんまに そうやろか?
分ける と
貝 の 組み合わせ
貝 は 昔の貨幣のなごりで財産を現す。
あるものを 分ける
もってるものを 分ける
それは やみ嫌うことなんやろか。
すでに 分ける シェアする
使いまわす ってことで 循環する 世界が 俺の前には もう きてる。
もってるものを 分ける そして みんな で 共有する = 貧
なんか すごい ええ感じ。
俺の周りに お金あんまりもたへんやつ おるけど
みんな 分けるの 大好きで どんどん 分けて分けて
自分も 分けてもらって にっこにこ 笑って 生きてる。
分けることができるってことは 持ってるってことやから。
カンボジアや ラオス に いったときも そのへんの感じを いっぱい感じた。
逆に 富
ウ冠 = 家 に 一 + 口 + 田
田で作った米を 家で 一つの口で 食う。
なんか さみしい。。。。。
漢字 っておもろいわ やっぱり。
気づき と 学び
いまがおもろすぎるから
気づいたり学んだりしてるヒマは ない
なにか を 経験して
なにか を 学んだ ような 気になって
あー この経験は この学びのために あったのかー
とかっていいながら
すべては 学び だー 感謝感謝 とか いってる瞬間に
立ち会うことがちょいちょいあるけど
これは 未体験のもの を 脳が 紐付けするために行ってる作業で
いうなれば 恐れから逃れるための こじつけ なんちゃうかなとおもったりする。
その 学んだ ってことで その経験に けりをつけて
ほかの部分を ばっさり 切り捨てる。
そして おなじような 体験が 目の前にあらわれると
あー これは あれね。 と あれみたいなものね と。
安心する。
経験のないもの、理解が不能なもの を前にしたとき
不安を 持たなくてもいいように。
だけど 実際に いま 起こってることは
「のようなもの」 や 「みたいなもの」ではなく
いつでも はじめての 「それ」 なんよね。
だから 瞬間 瞬間 それ それ それ で
一切の みたいなもの や ようなもの として 処理しないで
初めてのものとして経験していると
学び だの 気づき だの してる ひまがない。
そんな 頭でっかちの 解釈 なんか 横に おいて ただ ただ
ひとつずつ 味わってる。
おー とか ぎゃー とか うーん とか いいながら。
だから 気づいた ! とか 学んだ !とか 沸いてきたら
おっと いまから はなれたな と おもったりする。
さんざん 気づき とか 学び とか っていうてきた俺やけど
そんなことを おもっとります。
だからって 別に 学びとか 気づき より
いま を 味わうことが えらいってことじゃなく
いま 俺は それ に はまってるってこと。
それでも
あいかわらず
勝手に 気づき とか 学び とかは わいてきよるしなー。
ただ 経験から ものを いう 奴には
あんまり ならんように 気をつけよと
おもってるけど。
気づいたり学んだりしてるヒマは ない
なにか を 経験して
なにか を 学んだ ような 気になって
あー この経験は この学びのために あったのかー
とかっていいながら
すべては 学び だー 感謝感謝 とか いってる瞬間に
立ち会うことがちょいちょいあるけど
これは 未体験のもの を 脳が 紐付けするために行ってる作業で
いうなれば 恐れから逃れるための こじつけ なんちゃうかなとおもったりする。
その 学んだ ってことで その経験に けりをつけて
ほかの部分を ばっさり 切り捨てる。
そして おなじような 体験が 目の前にあらわれると
あー これは あれね。 と あれみたいなものね と。
安心する。
経験のないもの、理解が不能なもの を前にしたとき
不安を 持たなくてもいいように。
だけど 実際に いま 起こってることは
「のようなもの」 や 「みたいなもの」ではなく
いつでも はじめての 「それ」 なんよね。
だから 瞬間 瞬間 それ それ それ で
一切の みたいなもの や ようなもの として 処理しないで
初めてのものとして経験していると
学び だの 気づき だの してる ひまがない。
そんな 頭でっかちの 解釈 なんか 横に おいて ただ ただ
ひとつずつ 味わってる。
おー とか ぎゃー とか うーん とか いいながら。
だから 気づいた ! とか 学んだ !とか 沸いてきたら
おっと いまから はなれたな と おもったりする。
さんざん 気づき とか 学び とか っていうてきた俺やけど
そんなことを おもっとります。
だからって 別に 学びとか 気づき より
いま を 味わうことが えらいってことじゃなく
いま 俺は それ に はまってるってこと。
それでも
あいかわらず
勝手に 気づき とか 学び とかは わいてきよるしなー。
ただ 経験から ものを いう 奴には
あんまり ならんように 気をつけよと
おもってるけど。
2010年04月09日
降ってくる生き様
やるでー
おこしやす
++++++++++++++++++++++++++++++++++
「降ってくる生き様」 トーク&ライブ 川北流玄(41回目の誕生日)
++++++++++++++++++++++++++++++++++
内 容: 流玄が 最近感じてること、降ってきたことを語る
ほか 即興でおもうままに。
キーワード:すでに〜〜ている
選ばない(選択肢を増やさない)
降ってくるものに従う
手放し祈って引き寄せまわす
いいひと、いいことから 降りてみる
未来がさきに起きている(時間が逆)
意味、価値、法則はいらない
やり方をきかない 教えない
お金ないから工夫が生まれる
感謝、きづき、学びを捨てる
日 時: 2010/4/15(木) 18:00開場
18:30〜人が集まってきたらゆるゆる始めて21:00ぐらいまで。
途中参加も入退場もOK。親子ルームもあるで。
会 場: 東部フレンドホール (江戸川区)
江戸川区瑞江2丁目5番7号
(都営地下鉄新宿線「瑞江駅」 徒歩2分)
ライフの方の出口を出てブックオフの角を右にまがるとあります。
駐車場もあるよ。
定 員: 348人 (両親が さよこときはちなので 合わせて さよはち=348人)
参加費: 投げ銭(投げ札) 0円〜1億円
入り口でぽち袋を受け取り帰りにそこにお金を入れて
帰りに出口で渡してください。
流玄プロフィール:http://www.ryugen.jp/article/142940724.html
申し込みは必要ないので当日そのまま来てください。
問い合わせは 415@ryugen.jp
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この 情報 を 転送 転載歓迎します。
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おこしやす
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「降ってくる生き様」 トーク&ライブ 川北流玄(41回目の誕生日)
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内 容: 流玄が 最近感じてること、降ってきたことを語る
ほか 即興でおもうままに。
キーワード:すでに〜〜ている
選ばない(選択肢を増やさない)
降ってくるものに従う
手放し祈って引き寄せまわす
いいひと、いいことから 降りてみる
未来がさきに起きている(時間が逆)
意味、価値、法則はいらない
やり方をきかない 教えない
お金ないから工夫が生まれる
感謝、きづき、学びを捨てる
日 時: 2010/4/15(木) 18:00開場
18:30〜人が集まってきたらゆるゆる始めて21:00ぐらいまで。
途中参加も入退場もOK。親子ルームもあるで。
会 場: 東部フレンドホール (江戸川区)
江戸川区瑞江2丁目5番7号
(都営地下鉄新宿線「瑞江駅」 徒歩2分)
ライフの方の出口を出てブックオフの角を右にまがるとあります。
駐車場もあるよ。
定 員: 348人 (両親が さよこときはちなので 合わせて さよはち=348人)
参加費: 投げ銭(投げ札) 0円〜1億円
入り口でぽち袋を受け取り帰りにそこにお金を入れて
帰りに出口で渡してください。
流玄プロフィール:http://www.ryugen.jp/article/142940724.html
申し込みは必要ないので当日そのまま来てください。
問い合わせは 415@ryugen.jp
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この 情報 を 転送 転載歓迎します。
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2010年04月01日
降ってくる生き様
なぜか 正月に 誕生日は ホールでなんかしよー って降ってきて
おさえちゃいました。
なんか ここ最近はそんな直感 みたいなものに
従い、流れ、流されいきております。
そうそう これも直感で
最近 武田鉄矢主演の
成長や勝ち負けから降りる
「降りていく生き方」って映画をみてんけど
俺の場合は 「降ってくる生き様」って感じやなーと思って
4月15日の夜に
江戸川区の 東部フレンドホール(348人収容)にて
「降ってくる生き様」トーク&ライブ をやることにしました。
構成なしの 即興で
その日、その場で 降ってきたことを語ったり
歌いたくなったら歌ったりの 2時間。
途中入退場OK の自由参加。
参加費は 投げ銭 で帰りに
ぽち袋にいれてもらう仕組みにします。
だーれもこんでも もちろんやるけど
人生折り返しの 誕生日やから
やっぱりちょっとはきてほしいので
お誘い合わせのうえ きてなー。
++++++++++++++++++++++++++++++
++++
「降ってくる生き様」 トーク&ライブ 川北流玄(41回目の誕生日)
++++++++++++++++++++++++++++++++++
日 時:2010/4/15(木) 18:00開場
18:30-19:00ぐらいで人が集まってきたらゆるゆる始めて21:00ぐらいまで。
途中参加も入退場もOK。親子ルームもあるで。
会 場:東部フレンドホール (江戸川区)
江戸川区瑞江2丁目5番7号
(都営地下鉄新宿線「瑞江駅」 徒歩2分)
ライフの方の出口を出てブックオフの角を右にまがるとあります。
348人収容
参加費:投げ銭 0円〜1億円
入り口でぽち袋を受け取り帰りにそこにお金を入れて
帰りに出口で渡してください。
内 容:語り、アカペラで唄 ほか 即興でおもうままに。
なんで 348人のホールにしたんか 自分でもよーわからんけど
会えるん楽しみにしてます。
あ、それと
2月14日に 降ってきた
「ここち屋」やるぞープロジェクトは
みなさまさまさまの おかげさまさまさまで
3月20日に 無事に OPEN。
3月31日までで
のべ約 大人 180人 子供 50人が来店。
みんな
ブランコ、2mの穴、囲炉裏、ドームとかで
思い思いに 3−4時間 あそんでます。
お客さんどおしで出会いもあって
お店って面白い。
場 って不思議。
よかったら ふらっときてな。
アクセスや様子は ここち屋日記
http://cocochya.seesaa.net/
一回よったってなー。
ではまたまた。
おさえちゃいました。
なんか ここ最近はそんな直感 みたいなものに
従い、流れ、流されいきております。
そうそう これも直感で
最近 武田鉄矢主演の
成長や勝ち負けから降りる
「降りていく生き方」って映画をみてんけど
俺の場合は 「降ってくる生き様」って感じやなーと思って
4月15日の夜に
江戸川区の 東部フレンドホール(348人収容)にて
「降ってくる生き様」トーク&ライブ をやることにしました。
構成なしの 即興で
その日、その場で 降ってきたことを語ったり
歌いたくなったら歌ったりの 2時間。
途中入退場OK の自由参加。
参加費は 投げ銭 で帰りに
ぽち袋にいれてもらう仕組みにします。
だーれもこんでも もちろんやるけど
人生折り返しの 誕生日やから
やっぱりちょっとはきてほしいので
お誘い合わせのうえ きてなー。
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++++
「降ってくる生き様」 トーク&ライブ 川北流玄(41回目の誕生日)
++++++++++++++++++++++++++++++++++
日 時:2010/4/15(木) 18:00開場
18:30-19:00ぐらいで人が集まってきたらゆるゆる始めて21:00ぐらいまで。
途中参加も入退場もOK。親子ルームもあるで。
会 場:東部フレンドホール (江戸川区)
江戸川区瑞江2丁目5番7号
(都営地下鉄新宿線「瑞江駅」 徒歩2分)
ライフの方の出口を出てブックオフの角を右にまがるとあります。
348人収容
参加費:投げ銭 0円〜1億円
入り口でぽち袋を受け取り帰りにそこにお金を入れて
帰りに出口で渡してください。
内 容:語り、アカペラで唄 ほか 即興でおもうままに。
なんで 348人のホールにしたんか 自分でもよーわからんけど
会えるん楽しみにしてます。
あ、それと
2月14日に 降ってきた
「ここち屋」やるぞープロジェクトは
みなさまさまさまの おかげさまさまさまで
3月20日に 無事に OPEN。
3月31日までで
のべ約 大人 180人 子供 50人が来店。
みんな
ブランコ、2mの穴、囲炉裏、ドームとかで
思い思いに 3−4時間 あそんでます。
お客さんどおしで出会いもあって
お店って面白い。
場 って不思議。
よかったら ふらっときてな。
アクセスや様子は ここち屋日記
http://cocochya.seesaa.net/
一回よったってなー。
ではまたまた。
2010年03月07日
心地家 GEKKO 店創作中
今回はちょっと長いけどよかったら読んでください。
2009年から始まった流れ
1月 古巣の児童自立支援施設に25年ぶりに講演に呼ばれ
1週間子供たちと一緒に暮らす。
そのとき小学校6年の一樹に出会う。
彼の里親になれるよな人間でありたいと強く思う。
そして彼が中学を卒業するときに俺のところに
就職させたるとおもわず約束してしまう。
続き・・・
2009年から始まった流れ
1月 古巣の児童自立支援施設に25年ぶりに講演に呼ばれ
1週間子供たちと一緒に暮らす。
そのとき小学校6年の一樹に出会う。
彼の里親になれるよな人間でありたいと強く思う。
そして彼が中学を卒業するときに俺のところに
就職させたるとおもわず約束してしまう。
続き・・・
2010年01月07日
2010年01月06日
2009年12月04日
2009年12月03日
カラス
カラス
冬の雨に流されて
黒く塗り固めた心が顔を出す
痛めた古傷 隠す手を
ほんの一瞬 迷わせて
お前は俺に 羽根を差し出す
やわらか過ぎて
それは俺の心に突き刺さり
重く重く膨らんでく
どうにもならずに
俺はお前に心を投げる
みたこともない心を投げる
カラスの言葉はうそになる
あまりに正直すぎるから
いまにまっすぐすぎるから
カラスの言葉はうそになる
それでもいまはいまだけは
俺はお前を抱きしめる
互いに暗い影を生き
醜い心を持て余してた
自分にあるはずのない価値を
誰かの中にみたがって
狂おしく人を愛した
呑み込まれるように
吸い込まれるように
俺たちの心は絡みあう
俺はお前の心をたたき
震えるお前の魂に吸い付く
カラスの言葉はうそになる
あまりに正直すぎるから
いまにまっすぐすぎるから
カラスの言葉はうそになる
それでもいまは
いまだけは俺はお前を抱きしめる
お前は俺の腕の中
深く深く瞳を閉じて深い深い息をした
冬の雨に流されて
黒く塗り固めた心が顔を出す
痛めた古傷 隠す手を
ほんの一瞬 迷わせて
お前は俺に 羽根を差し出す
やわらか過ぎて
それは俺の心に突き刺さり
重く重く膨らんでく
どうにもならずに
俺はお前に心を投げる
みたこともない心を投げる
カラスの言葉はうそになる
あまりに正直すぎるから
いまにまっすぐすぎるから
カラスの言葉はうそになる
それでもいまはいまだけは
俺はお前を抱きしめる
互いに暗い影を生き
醜い心を持て余してた
自分にあるはずのない価値を
誰かの中にみたがって
狂おしく人を愛した
呑み込まれるように
吸い込まれるように
俺たちの心は絡みあう
俺はお前の心をたたき
震えるお前の魂に吸い付く
カラスの言葉はうそになる
あまりに正直すぎるから
いまにまっすぐすぎるから
カラスの言葉はうそになる
それでもいまは
いまだけは俺はお前を抱きしめる
お前は俺の腕の中
深く深く瞳を閉じて深い深い息をした
ごくたまに。
ごくたまに。
ごくたまに ぐっとくることやろ
それでええ それがええ
己の心に深く刻まれる逸話
語り継がれる伝説
己の中にひとつでもそれがあったら
人生はめっちゃカラフル
それでええ それがええ
それでええ それがええ
己の心に深く刻まれる逸話
語り継がれる伝説
己の中にひとつでもそれがあったら
人生はめっちゃカラフル
それでええ それがええ
2009年12月02日
そんなしゃべんな。
そんな
しゃべんな。
だまって目みたらわかるから
お前が語れば語るほど
お前の心とずれていく
お前が語れば語るほど
俺の心とずれていく
目見るだけでお前は全部伝わっとる
目で十分 語っとる
ばればれや ばればれや
お前が語れば語るほど
お前の心とずれていく
お前が語れば語るほど
俺の心とずれていく
目見るだけでお前は全部伝わっとる
目で十分 語っとる
ばればれや ばればれや
人生の意味。
人生の意味。
人生にお前が
考えつくような意味なんかない
お前に意味なんかない
俺に意味なんかない
勝手にどっかで聞いたような
意味なんかつけて
お前の人生縛らんといてくれ
ええか 意味考えてる暇あったら
その分 たのしめ うれしめ
人生はもっと自由
考えつくような意味なんかない
お前に意味なんかない
俺に意味なんかない
勝手にどっかで聞いたような
意味なんかつけて
お前の人生縛らんといてくれ
ええか 意味考えてる暇あったら
その分 たのしめ うれしめ
人生はもっと自由
2009年11月21日
2009年11月20日
生きろ。
生きろ。
死ね 死ね 死ね 昨日のおまえ
死ね 死ね 死ね 明日のおまえ
そんなもん どっちも どこにも おらん
生きろ 生きろ 今のおまえ
生きてる 生きてる 生きている いま の おまえ
死ね 死ね 死ね 明日のおまえ
そんなもん どっちも どこにも おらん
生きろ 生きろ 今のおまえ
生きてる 生きてる 生きている いま の おまえ
やられたらやりかえせ。
やられたら
やりかえせ。
お前には
その値打ちがある
ただし相手に
その値打ちがあるときだけやで
その値打ちがある
ただし相手に
その値打ちがあるときだけやで
2009年11月17日
自信
自信。
自信って
自らを人に言うって書くんやで
人に言え どんどん どんどん 人に言え
自分のことを 人に言え
自らを人に言うって書くんやで
人に言え どんどん どんどん 人に言え
自分のことを 人に言え
2009年11月16日
人よりちょっと弱くなれ
人よりちょっと
弱くなれ。
人を助けたいなんて
のぼせあがんのもええ加減にせえ
一回 人より弱なって
助けられてみぃ
どんな気持ちかわかるか
のぼせあがんのもええ加減にせえ
一回 人より弱なって
助けられてみぃ
どんな気持ちかわかるか
2009年10月31日
2009年10月30日
2009年09月22日
無人島
9/16ー19
無人島の浜辺で 一人
喰わず、話さず、読まず、照らさず。
畳一畳分の布の上から出ず、
4日過ごすプロジェクト
無事、終了。
体重は4キロ減。
細胞が全部入れ替わったみたいに調子よい。
ふふふ。
無人島の浜辺で 一人
喰わず、話さず、読まず、照らさず。
畳一畳分の布の上から出ず、
4日過ごすプロジェクト
無事、終了。
体重は4キロ減。
細胞が全部入れ替わったみたいに調子よい。
ふふふ。
2009年09月15日
2009年09月11日
2009年09月08日
2009年09月07日
あんな
あんな 俺お前のこと好き
あんな 俺お前のこと好き
あんな 俺お前のこと好き
あんな 俺お前に私のこと好きかって聞かれたら
好きとはようゆわんけど好き
あんな 俺お前になにをしてやれるわけやないけど
なんでもしてやりたいような そんな気はする
あんな 俺お前に抱かれて眠りたい
あんな 俺お前に抱かれて眠りたい
あんな 俺お前の胸に抱かれて眠りたい
あんな 俺お前のこと嫌いなふりしたりするけど
あんな 俺お前のこと突き放したりしたりするけど
あんな
あんな
あんな・・・・・。
あんな 俺 お前のこと 好き。
あんな 俺お前のこと好き
あんな 俺お前のこと好き
あんな 俺お前に私のこと好きかって聞かれたら
好きとはようゆわんけど好き
あんな 俺お前になにをしてやれるわけやないけど
なんでもしてやりたいような そんな気はする
あんな 俺お前に抱かれて眠りたい
あんな 俺お前に抱かれて眠りたい
あんな 俺お前の胸に抱かれて眠りたい
あんな 俺お前のこと嫌いなふりしたりするけど
あんな 俺お前のこと突き放したりしたりするけど
あんな
あんな
あんな・・・・・。
あんな 俺 お前のこと 好き。
アバズレ
けた外れにはめはずす
聖者のように預言する
おふくろみたいに抱きしめる
アメリカになるまえに
ドロドロになるまえに
結ばれた瞳をほどきたい
涙の出口が見当たらない
うずめる胸が見当たらない
そんなお前にしゃぶりつき
骨まで抱いてやりたいぜ
死んだ振りして舌をだす
意気揚々と逃げ帰る
自由の女神の首をおる
ボブマリーにあこがれて
手首にナイフをむけながら
おちぶれた言葉を拾いたい
涙の出口が見当たらない
うずめる胸が見当たらない
そんなお前にしゃぶりつき
骨まで抱いてやりたいぜ
野良犬みたいに這い回り
しばられなぐられ放置され
空に煌めく星をみる
色とりどりの感情は
無駄な命というけれど
まるめた背中に意地をみる
涙の出口が見当たらない
うずめる胸が見当たらない
そんなお前にしゃぶりつき
骨まで抱いてやりたいぜ
聖者のように預言する
おふくろみたいに抱きしめる
アメリカになるまえに
ドロドロになるまえに
結ばれた瞳をほどきたい
涙の出口が見当たらない
うずめる胸が見当たらない
そんなお前にしゃぶりつき
骨まで抱いてやりたいぜ
死んだ振りして舌をだす
意気揚々と逃げ帰る
自由の女神の首をおる
ボブマリーにあこがれて
手首にナイフをむけながら
おちぶれた言葉を拾いたい
涙の出口が見当たらない
うずめる胸が見当たらない
そんなお前にしゃぶりつき
骨まで抱いてやりたいぜ
野良犬みたいに這い回り
しばられなぐられ放置され
空に煌めく星をみる
色とりどりの感情は
無駄な命というけれど
まるめた背中に意地をみる
涙の出口が見当たらない
うずめる胸が見当たらない
そんなお前にしゃぶりつき
骨まで抱いてやりたいぜ
2009年09月01日
インタビュー

フォーラムgの事務局をつとめる流玄。参加者多数のためサイコロにて抽選の図。
ワークショップフォーラムg でのインタビュー記事
http://www.skunkworks.jp/genryu/1114
続き・・・
2009年05月01日
2009年04月30日
2009年04月29日
2009年04月27日
小学校卒業文集
「社会の人々の批判について」 6年2組
僕は、小学校を卒業して早く中学へいきたい。
なぜかというと小学校は、かたくるしいし、自由が少ないからだ。
それに小学生だから、まだ幼いなどといわれいやだからだ。
卒業をむかえて、僕の考えをのべたい。
それは社会の人々の大部分が批判している
暴走族がなぜ批判されるのかということだ。
僕は、暴走族とは、そりゃ社会の考えと同じように
悪い部分も多くあるとおもう。
しかしその反面ではよいことといえばおかしいが
入試にすべったからといって自殺するとか
勉強のしすぎでノイローゼになるくらいなら
まだ暴走族のほうが素直で良いと思う。
なぜ暴走族などになりたい人がでてくるのか
なぜ暴走族はだんだん悪くなっていくのか
社会の人はそれについて考えたことがあるのだろうか。
暴走族のことをきちんとしっているならまだしも
大部分が知らないのだと思う。
僕は暴走族をほめているといわれるかもしれないが
社会の批判が強まることによって暴走族はスリルがあるからやるのだから
よけいに悪化するのではないだろうか。
暴走族が悪いと批判した所で暴走族がなくなるのだろうか。
社会の人はどう考えているのだろうか。
僕は社会の人は暴走族を批判できないのではないかとおもう。
批判するならもっと深く暴走族について考えてみたらいいと思う。
2009年04月25日
2009年04月24日
2009年04月23日
ブルーなお前も血は赤い。
ブルーなお前も
血は赤い。
お前の中を流れる
地球ふた周りと半分の長さの血管に流れる
お前の身体の8%流れる
1秒に50cm休みなく流れる
いくらブルーなお前でも
お前の血は赤い
地球ふた周りと半分の長さの血管に流れる
お前の身体の8%流れる
1秒に50cm休みなく流れる
いくらブルーなお前でも
お前の血は赤い
2009年04月22日
2009年04月20日
やる気なんかいらん。
やる気なんか
いらん。
やるかやらんかでもない
もうすでに、お前やってるやん
やる気もなんもお前やってもうてるやん
すでに すでに それはそこに起こってる
やる気ないなーってことに
やる気になってたりすることもあるけど
ま、ちょっとややこしいけどそれもまたおまえやから
安心してそれやっとけ
もうすでに、お前やってるやん
やる気もなんもお前やってもうてるやん
すでに すでに それはそこに起こってる
やる気ないなーってことに
やる気になってたりすることもあるけど
ま、ちょっとややこしいけどそれもまたおまえやから
安心してそれやっとけ
2009年04月19日
2009年04月18日
愛と平和。
愛と平和。
愛が大事と叫ぶ奴が一番愛と反対側にいる
平和が大事と叫ぶ奴が一番平和と反対側にいる
それはそれが「ない」ことになってるから
いまここに「愛」はあり今この瞬間に「平和」はある
この世から「愛」や「平和」という言葉がいらなくなること
それがええなぁ、そんなんがええなぁ
平和が大事と叫ぶ奴が一番平和と反対側にいる
それはそれが「ない」ことになってるから
いまここに「愛」はあり今この瞬間に「平和」はある
この世から「愛」や「平和」という言葉がいらなくなること
それがええなぁ、そんなんがええなぁ
2009年04月17日
2009年04月16日
夢なんか持つな
夢なんか
持つな。
夢なんか持って生きてたらあかん
夢なんか忘れて夢の中に生きるんや
いまもおまえ夢の中
夢中で生きてる 夢中で生きてる
夢なんか忘れて夢の中に生きるんや
いまもおまえ夢の中
夢中で生きてる 夢中で生きてる
2009年04月15日
2009年04月14日
ありがとうなんかいらん。
ありがとう
なんかいらん。
感謝してるヒマがあったら
その分前に進んでくれお前にありがとうなんていわれたら
なんかお前のためにやったみたいで
気持ち悪いわ
その分前に進んでくれお前にありがとうなんていわれたら
なんかお前のためにやったみたいで
気持ち悪いわ
2009年04月12日
お前のLIFEに
お前のLifeに
コーチはいらん。
お前の人生のプロはお前しかおらん他人にわかった風にお前の人生ごちゃごちゃいわすな




